冬至のころのストックホルムでは、日の出が朝8時40分過ぎ、日の入りが午後3時前で、昼の長さはおよそ6時間です。ヘルシンキではさらに短く、6時間を切ります。同じ日の盛岡は、日の出が6時52分、日の入りが16時14分で、9時間20分ほどの昼があります。北欧の冬の暗さは、岩手で暮らす私たちの感覚を、もう一段越えたところにあります。
その暗さの中で、北欧の人々はクリスマスまでの日々を、ろうそくの灯で数えてきました。この読みものでは、スウェーデンのルシア祭、ドイツで生まれたアドベントの輪、デンマークの暦のろうそく、窓辺の電気の灯り、フィンランドの墓地の灯をたどりながら、暗い季節に火をともす習慣の成り立ちを見ていきます。
一年でいちばん長い夜が、12月13日だったころ
スウェーデンでは毎年12月13日に、ルシア祭が行われます。白い衣をまとい、頭にろうそくの冠を載せた少女を先頭に、手にろうそくを持った子どもたちが歌いながら進む行事です。行列のあとは、コーヒーと、サフランで黄色く色づけたパン「ルッセカット」を囲むのが習わしです。近年は安全のため、冠のろうそくを電池式の灯りに替えることも増えています。
なぜ13日なのでしょうか。スウェーデンが1753年にグレゴリオ暦へ移るまで使っていたユリウス暦では、一年でいちばん長い夜が、12月12日から13日にかけてにあたっていました。古い民間の信仰では、この夜には悪い力が動き回ると考えられ、人々は眠らずに家や家畜を守ったと伝えられています。
キリスト教が広まると、暦の一日ごとに聖人が割り当てられ、13日はシチリアの聖女ルチアの日になりました。ルチアという名は、ラテン語で光を意味する「ルクス」に通じます。いちばん暗い夜と、光の名を持つ聖女とが、同じ日に重なったわけです。
現在のような行列の形は、スウェーデン西部の上流家庭の習慣から始まりました。19世紀の終わりにストックホルムの野外博物館スカンセンで取り上げられ、1927年に開かれたルシアのコンテストをきっかけに、学校や職場へと広がっていきます。古い信仰と聖人の暦、そして近代の行事が重なって、いまの祭りの姿ができあがりました。
荷車の車輪から始まった、アドベントの輪
クリスマス前の4週間を、アドベント(待降節)と呼びます。その日曜日ごとに一本ずつろうそくをともしていく「アドベントの輪」は、北欧の家庭でもおなじみの飾りです。この習慣の始まりは意外に新しく、場所も北欧の外にあります。
1839年、ドイツのハンブルクで、困難な境遇にある子どもたちのための施設「ラウエス・ハウス」を営んでいた牧師ヨハン・ヒンリッヒ・ヴィヘルンは、クリスマスはまだかと毎日たずねる子どもたちのために、古い荷車の車輪にろうそくを並べました。平日には小さな赤いろうそくを、日曜日には大きな白いろうそくを一本ずつともし、残りの日数がひと目でわかるようにしたのです。最初の輪には、平日用と日曜日用を合わせて20本を超えるろうそくが並んでいたといわれます。
やがてろうそくは日曜日の4本に絞られ、1860年ごろからはモミの枝で編んだ輪が好まれるようになりました。プロテスタントの家庭から始まった習慣は、カトリックの教会にも取り入れられ、北欧の家々の食卓にも置かれるようになります。ヴィヘルンの最初の輪にちなむ飾りは、いまもラウエス・ハウスで見ることができます。
毎日少しずつ燃やす、デンマークの暦のろうそく
デンマークには「カレンダーリュス」と呼ばれる暦のろうそくがあります。1から24までの目盛りが刻まれた背の高いろうそくで、12月1日から毎日、その日の目盛りの分だけ燃やします。燃えて短くなっていく長さが、そのままクリスマスまでの残りの日数を示します。
20世紀の前半には、家庭でろうそくにインクで線を引いて作っていたと伝えられ、のちに市販品が出回るようになりました。うっかり燃やし過ぎて目盛りを越えてしまうこともあり、どこまで燃えたかが、12月の挨拶代わりの話題になるといいます。
デンマークは、ろうそくをよく使う国としても知られています。欧州キャンドル協会の資料をもとにした集計によると、2016年の一人あたりのろうそく消費量はデンマークがヨーロッパで最も多く、年におよそ4.3キログラムでした。同じ年のEU平均は1.45キログラムで、その3倍近くにあたります。
窓辺に並ぶ、七つの灯り
スウェーデンの冬の窓辺を飾る代表的な灯りが、ろうそくの形をした電球を山形に七つ並べた「アドベンツユースタケ」です。12月になると多くの家の窓にこの灯りが置かれ、通りから見上げると、窓ごとに同じ形の光が並びます。
北欧の照明メーカーがまとめた記録によると、この灯りは1934年、ヨーテボリの照明会社で働いていた技術者が考えたものです。電圧が低いために返品が相次いだクリスマスツリー用の電球を、木のろうそく立てに取り付けたのが始まりとされます。1937年に売り出されると、最初の3,000台はすぐに売り切れ、翌年は生産を倍に増やしたと伝えられています。
炎の形を電気で写したこの灯りによって、ろうそくを長くともしておけない窓辺にも、ろうそくと同じ形の光を置けるようになりました。いまでは、ろうそくの炎と電気の灯りが、北欧の冬の家の中で役割を分け合っています。
フィンランドの、灯のともる墓地
フィンランドのクリスマスイブには、夕暮れの墓地を訪れてろうそくをともす習慣があります。午後の早い時間に暗くなり始めるころ、家族は暖かい服を着込み、ガラスの覆いのついた墓用のろうそくを手に墓地へ向かいます。ヘルシンキのヒエタニエミ墓地では、広い敷地じゅうが小さな炎で照らされます。
フィンランドの無形文化遺産の目録によると、記録に残る最初の例は1921年、ヘルシンキの旧墓地で、ある女性が亡くなった妹の墓にろうそくをともしたことでした。この習慣はルター派の墓地に少しずつ広まり、戦争のあとには戦没者の墓から急速に広がっていきます。いまでは戦没者の墓の前に、国防軍の兵士が儀仗兵として立ちます。
雪の上に無数の炎が並ぶ光景は、亡くなった人を思い、離れて暮らす家族がそろう時間のしるしとして、フィンランドの冬に根づいています。
灯を数えることは、光の戻りを待つこと
ルシアの冠、アドベントの輪、暦のろうそく、窓辺の灯り、墓地のろうそく。形はさまざまですが、どれも暗い季節のさなかに灯を一つずつ増やし、日を数える仕組みになっています。冬至を過ぎれば、昼は一日ごとに少しずつ長くなります。盛岡でも、冬至のころ16時14分だった日の入りは、1月末には16時53分まで延びます。北欧の高緯度の町では、昼の延び方はさらに急です。ろうそくを数える習慣は、光が戻ってくるまでの時間を、待つ楽しみに変えてきたのだと思います。
北欧の冬の暮らしを支える言葉については「北欧の暮らしの言葉」で、太陽が昇らない北の町の冬は「極夜の島スヴァールバル」でご紹介しています。
盛岡の冬至の昼は北欧より3時間以上長いものの、夕方4時を過ぎればあたりは暗くなります。窓辺にろうそくを一本、部屋に薪ストーブの炎を一つ。数える灯があると、長い冬の夜にも待つ楽しみが生まれます。なお、ろうそくはカーテンや紙の飾りから離して置き、その場を離れるときは必ず消してください。
参考:盛岡の日の出・日の入りは国立天文台暦計算室(2026年12月)、北欧の都市は同じ天文計算式による概算。ルシア祭はリンショーピング大学の解説(英語)、アドベントの輪は百科事典の記述(英語)、ろうそくの消費量は欧州キャンドル協会のデータによる集計(英語)、窓辺の灯りは照明メーカーの記事(英語)、墓地のろうそくはフィンランド無形文化遺産目録(英語)による。
