北大西洋に浮かぶアイスランドは、人口およそ39万人の島国です。国の統計局によると、2025年1月1日の人口は389,444人で、そのうち約13万9千人が首都レイキャヴィークに暮らしています。北緯64度を超える首都の冬は日が短く、風も強い土地ですが、この国の人々は寒さの中で、地面の下からわき出す熱を暮らしの真ん中に置いてきました。
この読みものでは、レイキャヴィークの名前の由来から、街を温める地熱暖房の歩み、そして2025年にユネスコの無形文化遺産に記載された温水プールの文化までをたどります。最後に、同じく火山の恵みを受ける岩手の地熱と、冬の熱の話につなげてみます。
「煙の湾」と呼ばれた首都
レイキャヴィークという地名は、アイスランド語で煙を意味する「レイクル」と、湾を意味する「ヴィーク」からできています。9世紀の後半にこの地へ渡ってきた人々が、海辺の湯けむりを煙と見て名づけたと伝えられています。首都の名前そのものが、地熱の風景を映しているのです。
首都圏で電気と熱をつくる会社の解説によると、初期の地熱の湯は、おもに洗濯と入浴に使われていました。レイキャヴィークの東には、アイスランド語で「洗濯の湯」を意味する名を持つ温泉があり、人々はここへ衣類を洗いに通いました。熱い湯を毎日の仕事に生かす知恵は、この島で早くから育っていました。
島全体が火山の上にあるアイスランドでは、雨や雪どけ水が地下深くへしみ込み、熱い岩に温められて再びわき出します。高温の蒸気がわく場所もあれば、ほどよい温度の湯が静かにあふれる場所もあります。こうした熱をどう暮らしに引き込むかが、20世紀の大きな課題になりました。
管で届ける、街の暖房
レイキャヴィークで地熱の湯を掘り始めたのは1928年です。あの洗濯の湯の近くに浅い井戸が14本掘られ、約87℃の湯が毎秒14リットルほど得られました。1930年には約3キロの管が引かれ、最初の建物に湯が届きます。続いて学校や病院、屋内プール、70軒ほどの家がつながりました。首都の熱供給を担う公社の技術者がまとめた報告は、これを地熱による地域暖房の始まりと位置づけています。
同じ報告によると、1933年の時点で地熱の暖房につながっていたのは、市民の約3パーセントにすぎませんでした。当時の暖房はおもに石炭で、街の上空には黒い煙がよく立ちこめていたといいます。その後、市の北東の地熱地帯で井戸が掘られ、1943年の末には約86℃の湯が毎秒約200リットル、首都へ送られるようになりました。煙の湾と呼ばれた街は、石炭の煙から少しずつ解き放たれていきます。
この報告が書かれた2003年には、首都の公社の地域暖房は、国民の半数以上が暮らす地域に湯を届けるまでになっていました。配管を流れる湯は年間およそ6千万立方メートルにのぼります。かつて一本の管から始まった仕組みが、70年あまりをかけて国の暮らしの土台に育ったことになります。
現在、アイスランドで家々を暖める熱の約9割は地熱でまかなわれています。地熱の湯が届かない地域では、水力などの再生可能な電気で暖房をしています。家ごとに燃料を燃やす代わりに、地面の下の熱を管で街じゅうに配る。この仕組みが、アイスランドの冬の暮らしを根元から支えています。
温水プールは、町の社交場
地熱の湯は、暖房のほかにもう一つ、この国らしい場所を生みました。屋外の温水プールです。2024年3月にアイスランド政府が公表した文書によると、国内には公共のプールがおよそ120あり、その多くを市町村が運営しています。首都だけでも8か所です。同じ文書は、最近の調査で大人の79パーセントがプールで泳ぐと答えたことを紹介しています。
プールには、泳ぐための水槽のほかに、温度の違う小さな湯船がいくつも並びます。人々はそこで肩まで湯につかり、近所の人や見知らぬ人と天気や世の中の話を交わします。政府の文書は、湯船で人と会い、家族と泳ぐことが、心と体の両方の健康を支える大切なつながりになっていると説明しています。子どもたちにとっても、学校の水泳の授業で通う身近な場所です。
レイキャヴィーク市の規則では、プールに入る前に、水着を着けずに体をよく洗うことが求められています。一人ひとりが体を清めてから湯に入るという決まりは、湯船に入る前に体を流す日本の温泉の作法とよく似ています。同じ湯を大勢で分け合う場所では、清潔を保つための約束ごとが、国を問わず同じかたちに落ち着くのかもしれません。冬の夜、湯気の立つ屋外の湯船に人が集まる光景は、雪国の共同浴場を思わせます。
ユネスコに記載された、プールの文化
アイスランドは2024年3月、この温水プールの文化をユネスコの無形文化遺産に推薦しました。推薦にあたっては、実際にプールを使う人々の参加が求められるため、各地で集まりが開かれ、自治体や水泳クラブ、利用者から支持の声が寄せられました。
約1年半の審査を経て、2025年12月、インドのニューデリーで開かれた政府間委員会で、記載が決まりました。アイスランドが単独で推薦した案件としては、初めての記載です。政府の発表の中で、担当大臣は、プールは人々がスマートフォンを置いて互いに語り合う数少ない場所の一つだと述べ、レイキャヴィークの市長は、プールの中では誰もが等しいと語っています。
人類の文化として認められたのは、湯につかって語り合う、日々の習慣そのものです。豊かな地熱があり、それを公共の場で分け合う仕組みがあり、人々が毎日のようにそこへ通う。この三つが重なり合いながら、プールの文化は受け継がれてきました。
岩手の地熱と、冬の熱
火山の恵みは、岩手の暮らしにも届いています。八幡平市の松川地熱発電所は、1966年に国内で初めて商用の運転を始めた地熱発電所で、2016年には日本機械学会の機械遺産に選ばれました。雫石町の葛根田川沿いでも、1978年に地熱発電所が営業運転を始めています。岩手山や八幡平の山あいでは、アイスランドと同じように、地下深くの熱が暮らしを支える力に変えられているのです。県内には花巻温泉郷をはじめ、古くから親しまれてきた湯も数多くあります。
一方で、岩手の家々の暖房は、多くが家ごとに熱をつくる仕組みです。盛岡の1月の平均気温は氷点下1.6℃、日最低気温の平年値は氷点下5.2℃に下がります。アイスランドのように地面の熱を管で配る網はありませんが、地元の山で育った木を薪にして、家の中で燃やすことはできます。薪は、森が太陽の光を長い年月かけてたくわえた熱でもあります。
アイスランドの人々が湯船で肩を寄せ合うように、岩手の冬には、火のそばに人が集まります。熱をどこから得るかは土地によって違っても、温かい場所に人が集い、語らう時間が冬を支えている点は共通しています。アイスランドでは町のプールが、岩手では温泉の湯船や家の火のまわりが、その役目を担ってきました。家の中にそうした場所をつくる道具の一つとして、薪ストーブがあります。
参考:人口はアイスランド統計局(英語)、地名の由来・初期の利用・暖房の約9割は首都圏の電力と熱の会社の解説(英語)、1928年の掘削から1943年までの経過は、エネルギー庁の研修で発表された首都の熱供給公社の報告(2003年、英語・PDF)による。プールの数・調査・推薦と記載はアイスランド政府の発表(2024年・2025年、アイスランド語)、入場前の決まりはレイキャヴィーク市(英語)による。松川地熱発電所はJSTサイエンスポータル(2016年)、葛根田は地質調査所の記事(1978年・PDF)、盛岡の気温は気象庁の平年値による。