フィンランドのスーパーマーケットやパン屋では、楕円形の小さなパイがほぼ必ずといってよいほど並んでいます。カレリアンピーラッカ(karjalanpiirakka)です。ごく薄いライ麦の生地にミルクで炊いた米粥をのせ、縁をひだ状に折り上げて焼いたもので、真ん中は開いたまま粥がのぞいています。飾り気のない姿の背後には、東の国境地帯の歴史と、高温の窯で焼いてきた暮らしの知恵が詰まっています。
この読みものでは、カレリアンピーラッカがどこで生まれ、どのように形を変え、どうしてフィンランド全土で食べられるようになったのかを、作り方や食べ方とあわせてたどります。
カレリアという土地
カレリアは、フィンランド湾から白海にかけて広がる、湖と森の多い地方の名前です。現在はフィンランド東部の北カレリア県や南カレリア県と、ロシア連邦のカレリア共和国などにまたがっています。長いあいだ西と東の勢力の境目に位置してきたため、言葉や信仰、食文化にも東西の要素が混じり合っています。
この地方は、フィンランドの文化にとって特別な意味を持つ土地でもあります。19世紀に医師で言語学者のエリアス・リョンロートがカレリアの村々を訪ね、歌い継がれてきた詩を書き留めて編んだのが、1835年に初版が出た民族叙事詩『カレワラ』です。湖と森に囲まれた素朴な暮らしは、のちの画家や作曲家にとっても、自国の原風景を描く題材になりました。
カレリアンピーラッカは、このうち北部のカレリアや国境沿いの地域で親しまれてきた食べものです。フィンランド語版の百科事典によれば、カレリアのほかの地域では、発酵させた生地を使う別のパイが焼かれていました。呼び名もさまざまで、カレリア語ではカリッタ(kalitta)、リヴィ・カレリア語ではシパイニエック(šipainiekku)と呼ばれ、ロシア北部ではカリトカの名で知られています。
1686年の記録と、具の移り変わり
このパイについて文字で残る最も古い記録は、1686年のものとされています。フィンランドがEUに伝統的特産品としての登録を申請した際の書類にも、この年が記されています。ただし、当時の中身は今とは違いました。
古い時代の具は、大麦の粥や、炒った穀物を粉にしたタルックナ(talkkuna)でした。大麦は、フィンランドで最も古くから育てられてきた穀物の一つです。19世紀になるとじゃがいもが、続いてそばの実が使われるようになり、さらに後になって米やきびが加わりました。フィンランドでじゃがいもの栽培が始まったのは1720年代の終わりごろです。米は17世紀にはすでに輸入されていましたが、裕福な貴族しか口にできない品で、19世紀になっても祝いの席のごちそうでした。農村の商店で米が手に入るようになってから、米粥のピーラッカが日々の食卓に広がっていきます。
皮のほうも、古くはライ麦だけで作るのが普通でした。北カレリアやラドガ湖の周辺では、焼き上がりをよくするために小麦を混ぜることもありました。冷涼な気候に強いライ麦は、北の土地の暮らしを支えてきた穀物です。フィンランドの人々とライ麦の関わりについては、ライ麦パンの読みものでも紹介しています。
戦争と移住が広めた味
カレリアンピーラッカがフィンランド全土の味になった大きなきっかけは、20世紀の戦争でした。1939年に始まった冬戦争と、それに続く継続戦争の結果、フィンランドはカレリア地方の大部分をソビエト連邦に割譲します。フィンランドの公共放送によれば、1944年に継続戦争が終わったとき、40万人を超えるカレリアの人々が故郷を離れ、国内の各地へ移り住まなければなりませんでした。
移り住んだ人々は、新しい土地に手仕事や正教会の信仰など、さまざまな文化を持ち込みました。食べものの中で最もよく知られているのが、カレリアンピーラッカだとされています。各地の家庭や店で焼かれるうちに、国境の地方の料理は国じゅうの朝食やおやつとして定着していきました。現在ではエストニアやロシアのカレリアなど、周辺の地域でも食べられています。
戦後まもない1952年には、移住者の再定住を描いた映画『約束の地(Luvattu maa)』が作られ、その中にもピーラッカが登場します。故郷を離れた人々にとって、このパイは失った土地の記憶をつなぐ食べものでもありました。同じ時期には、カレリアの女性たちが織ってきた細長い麻の手拭い(käspaikka)なども各地に伝わり、移住者の文化は日々の暮らしの中で少しずつ周囲に広がっていきました。
EUが守る「伝統的特産品」
カレリアンピーラッカは、2003年にEUの「伝統的特産品保証(TSG)」に登録されました。この制度が守るのは、産地よりも、伝統的な原料と作り方です。登録された定義を満たさないものは、カレリアンピーラッカと名乗ることができません。
フィンランドの報道によれば、定義では生地の半分以上がライ麦でなければならず、皮は薄く、全体のおよそ3分の2を具が占めます。形は楕円形が基本で、丸いものも認められ、大きさはおおむね7〜20センチメートルです。具は大麦や米の粥、じゃがいものピュレ、つぶした野菜などとされ、のちの改正では、乳糖を除いた牛乳で炊いた粥も認められました。
この条件に合わない市販品は、「リーシピーラッカ(米のパイ)」や「ペルナピーラッカ(じゃがいものパイ)」のように、具の名前で呼ばれます。店頭で似た品が別の名前で並んでいるのは、この決まりがあるためです。
薄くのばし、ひだを寄せ、高温で焼く
作り方の要は、生地の薄さにあります。ライ麦粉と水、塩だけで練った発酵させない生地を、向こうが透けて見えるほど薄くのばします。この薄さが、焼いたときのぱりっとした歯ざわりを生みます。
のばした生地に粥をのせ、縁から1〜2センチメートルを残して広げたら、生地の縁を内側へ折り返し、指先でつまむようにして細かなひだを寄せていきます。フィンランド語でリュピュッター(rypyttää)と呼ばれるこの手つきが、ピーラッカの見た目を決めます。
焼くのは250〜300度という高温で、時間は15〜20分ほどです。焼き上がったらすぐに溶かしバター、あるいはバターと牛乳を合わせたものを刷毛で塗り、乾いた皮をしっとりさせます。短時間で一気に焼き上げるこのパイには、高い温度を保てる薪の窯がよく合っていました。
卵バターを添えて
定番の食べ方は、温かいうちに「ムナヴォイ(munavoi)」をのせることです。ゆで卵を刻んでやわらかいバターと混ぜたもので、ライ麦の香ばしさと粥のやさしい甘みによく合います。東部の町サヴォンリンナの市場では、塩をした小魚のムイック(シロマスの仲間)をのせる食べ方も知られています。
具には米粥のほか、じゃがいものピュレや、米とにんじんを合わせたものもよく使われます。朝食に、昼の軽い食事に、コーヒーのお供にと、一日のさまざまな場面に登場する食べものです。
薪ストーブの火で温め直す
焼いてから時間がたったピーラッカは、皮が少し柔らかくなります。そうしたときに役立つのが、薪ストーブの天板やオーブンです。鋳鉄の天板にのせて裏返しながら温めると、皮の香ばしさが戻り、中の粥もほどよく温まります。オーブンを備えた機種であれば、高めの温度で短時間温めることで、焼きたてに近い食感に近づけられます。
岩手の冬は長く、盛岡の1月の平均気温は平年でマイナス1.6度です。ストーブに火が入っている季節には、天板で煮込みや湯沸かしをし、余熱で何かを温めておくことが、自然と暮らしの一部になります。薪ストーブを使った料理については、薪ストーブ料理の読みもので詳しく紹介しています。国境の地方で生まれた素朴なパイは、火のそばで囲む冬の食卓によく似合います。
参考:歴史・具の変遷・作り方・呼び名は、フィンランド語版ウィキペディア(フィンランド語)および英語版(英語)。EUの登録は欧州委員会規則(EC)No 317/2003(EUR-Lex)。定義の内容は、MTVウーティセット(フィンランド語)。『カレワラ』は(英語)。戦後の移住と映画、手拭いは、Yle(フィンランド語)。盛岡の平年値は気象庁(平年値)による。
