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YOMIMONO / メーカーの話

ヨツールの170年。
オスロの鋳物工場から、世界の薪ストーブへ

文・有限会社D'STYLE|岩手・盛岡の薪ストーブとサウナの店

公開日:2026年9月11日 / 最終更新日:2026年10月25日

薪ストーブを調べていると、必ずといってよいほど出てくる名前があります。ヨツール(Jøtul)。ノルウェーのメーカーです。始まりは1853年、いまのオスロの郊外に開かれた一つの鋳物工場でした。メーカー自身も、世界で最も古いストーブの作り手のひとつと名乗っています。

ただし、170年の道のりには、いくつもの曲がり角がありました。親会社からの独立、倒産の危機、戦争、石油の時代、持ち主の交代。この読みものでは、ノルウェー大百科事典やメーカーの発表をもとに、ヨツールという会社がどのように続いてきたかを年代順にたどります。鋳鉄そのものの性質や工場の様子は「ノルウェーで、鋳物を作る」のページにまとめていますので、ここでは会社の歩みに絞ります。

川のほとりの鋳物工場から

1853年、農家の出身のオルフ・オンスム(Oluf Onsum)が、当時クリスチャニアと呼ばれていたオスロの郊外、ロエルヴァ川のほとりに鋳物工場を開きました。名前はクヴェルナー鋳鉄所(Kværner Jernstøberi)。のちにノルウェーを代表する重工業の会社となるクヴェルナーの出発点でもあります。

ノルウェー大百科事典によれば、この工場が鋳鉄のストーブを作り始めたのは1860年ごろで、1867年には50種類ものストーブを揃えていました。19世紀の終わりには、国内有数のストーブの鋳物工場に育っています。長く暗い冬を過ごす国で、鉄の箱で薪を燃やす暖房は、暮らしに欠かせない道具でした。

ストーブ部門の独立と「巨人」の名

20世紀に入ると、クヴェルナーは水車のタービンや製材の機械など、より大きな機械の製造へ軸足を移していきます。そして1916年、ストーブの鋳物工場は売りに出され、当時26歳だったヘルマン・アンカー(Herman Anker)が買い取りました。工場はクヴェルナー・ストーブ鋳造所として再出発します。

1920年、この会社のストーブに「Jøtul」という商標が使われ始めました。ノルウェー語で巨人を意味する言葉です。百科事典には、このころすでに建築家や芸術家がストーブの意匠を手がけていたことも記されています。建築家ヘンリク・ブルによる「王のストーブ」(1905〜06年)や、アンドレアス・エンデルレによる「トロルのストーブ」(1920年ごろ)がその例です。暖房器具を家具や工芸品として形づくる姿勢は、この時代から続いています。

倒産の淵からの立て直し

順調に見えた船出は、すぐに試練を迎えます。1920年代の世界的な不況でストーブの売れ行きは止まり、1927年には会社が倒産寸前に追い込まれました。同じ年に創業者のアンカーも世を去っています。

後を継いだヨハネス・ガール(Johannes Gahr)は、会社の近代化を進め、立て直しに取り組みました。関連する会社の整理も進め、1935年には社名そのものを「ヨツール」と改めます。商標として生まれた巨人の名が、ここで会社の名前になりました。メーカーの発表では、ガールのもとでヨツールは再びノルウェー最大のストーブの作り手に返り咲いたとされています。

1940年、小さな602の誕生

ヨツールの歴史を語るうえで欠かせないのが、小型の薪ストーブ「602」です。設計したのは、1922年に共同で事務所を開いた建築家のグドルフ・ブラクスタとヘルマン・ムンテ・カース。彫刻家のオルヌルフ・バストが浮き彫りの装飾を加え、1940年に生産が始まりました。

この年、ノルウェーはドイツの占領下に入ります。百科事典によれば、戦争の間もヨツールの売り上げは伸び、終戦のころには借入金をほとんど返し終えていました。602は小屋や小さな部屋にも置ける大きさで、いまも「F 602」として作られ続けています。メーカーの発表では累計200万台以上にのぼり、1999年にはノルウェーのデザイン賞「クラシック賞」を受けました。長く作り続けられてきた製品に贈られる賞で、602は発売から半世紀以上を経て選ばれました。

石油の時代と、薪への回帰

第二次世界大戦のあと、ノルウェーの家庭にも石油や灯油、電気が広がり、薪ストーブの需要は細っていきました。ヨツールは液体燃料のストーブを主力に据え、1961年には電気のパネルヒーターも売り出しています。同業者が次々と姿を消すなかで、ヨツールは国内で群を抜く規模を保ちました。

流れを変えたのは、1973年の石油危機です。石油が手に入りにくくなると薪ストーブの需要は一気に戻り、ヨツールは薪を燃やす製品に再び力を注ぎます。ヨーロッパ大陸や北米への輸出も広げました。1977年、ガール家は会社を企業グループのノルセムに売却し、ヨツールは海外の鋳物工場や輸入会社を取得しながら国際展開を進めます。

1982年は大きな節目の年でした。オスロでの生産を終え、工場をフレドリクスタのクローケロイにまとめます。同じ年の3月に発表された「201」は、燃え残りのガスをもう一度燃やす燃焼室を備え、効率を最大80%ほどまで高めました。それ以前のストーブはおよそ30%だったと百科事典は記しています。いまのクリーンバーンにつながる技術が、ここで形になりました。

世界のヨツールへ

1980年代の後半には、景気の後退を受けて国内の市場に立ち返る時期もありました。その後は再び国際化を進め、2000年代にはノルウェーのデザイン事務所と組んだ新しい機種を次々に送り出します。F 373は2007年にレッドドット・デザイン賞を受け、2024年にはF 170シリーズも同じ賞に選ばれました。

2006年にはデンマークのスキャンがヨツールのグループに加わり、2018年にはアメリカの投資会社オープンゲート・キャピタルがヨツールを取得しました。持ち主は時代とともに変わってきましたが、本社と鋳物の工場はいまもノルウェーのフレドリクスタにあります。メーカーによれば、ヨツールの製品は6大陸の43か国で売られています。日本で手に入る薪ストーブ18機種の燃焼効率は76〜86%で、ノルウェーの冬を基準に磨かれてきた燃焼の技術が、北東北の冬にも生かされています。

D'STYLEとヨツール

ヨツールの日本の輸入元は株式会社メイクで、当社は株式会社メイク正規代理店(岩手県盛岡市)としてヨツールの薪ストーブを取り扱っています。盛岡のショールームには複数のモデルを展示しており、実際に炎が入った状態で見ていただけます。写真や数値では伝えきれない鋳鉄の熱の広がり方や、ガラス越しに見える炎の動きを、その場で確かめてください。機種ごとの仕様はヨツールのページにまとめています。

購入を決めていなくても構いません。ヨツールのストーブが気になっている方、薪ストーブというものを一度見てみたいという方も、ご相談は無料です。170年続いてきたものを岩手の家で使う話を、一緒に考えます。

よくあるご質問

Q. ヨツールとヨトゥル、どちらが正しい読み方ですか。
日本ではヨツールと表記されることが多く、当社もそう呼んでいます。ノルウェー語の発音に近づけるとヨトゥルに近くなりますが、どちらも同じメーカーのことです。カタカナ表記の揺れで別のブランドではありません。

Q. ヨツールのストーブは重いですか。
鋳鉄製のため、重量のあるモデルが多いです。小型のものでも60kg前後、大型になると100kgを超えるものもあります。設置の際には床の補強が必要になる場合があり、当社では設置前に現地を確認してからご提案しています。

Q. 部品の交換や修理はできますか。
パッキン・ガラス・炉内部品など、消耗品は国内で入手できます。当社でもメンテナンスに対応していますので、長年お使いのヨツールをお持ちの方もご相談ください。

参考:会社の歩みはノルウェー大百科事典「Jøtul AS」(ノルウェー語)、ヨツール社の発表「165-year-long Norwegian adventure」と会社紹介(英語)、2018年の取得はオープンゲート・キャピタルの発表(英語)による。機種数と燃焼効率は当社のヨツールのページによる。

D'STYLE
橋本 大治(有限会社D'STYLE 代表)

岩手・盛岡で薪ストーブとサウナの施工を手がけて20年。ノルウェーをはじめとする海外メーカーの製品を実際に使い込みながら、東北の冬に合う選び方を提案しています。

ヨツールのストーブを、盛岡で見る。

ショールームには実際に火が入ったストーブがあります。鋳鉄の熱の広がり方を、その場で感じてください。ご相談は無料です。

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