マッチもライターもなかった時代、火はどうやって手に入れたのか。火打ち石やきりもみで起こすのは、実は大仕事でした。だから、暮らしの答えはこうでした。火は、絶やさず守るもの。そして、絶えたら、隣から分けてもらうもの。今日は、「火を分ける」という文化の話です。この系譜は、今の薪の暮らしにも、ちゃんと続いています。
種火は、家の命だった
囲炉裏の時代、夜は熾火を灰に埋けて、朝それを掘り起こして一日が始まりました。種火を絶やすのは主婦の失態とされ、「火種を絶やすな」は家訓の定番。竈の神、火の神への信仰も、この切実さの表れです。今、薪ストーブの朝に灰から熾火を起こすたび(朝の話)、私たちは、この何百年の朝の続きをやっています。マッチ一本で火が買える時代でも、熾火から起こせた朝が妙にうれしいのは、種火を守れた者の古い喜びなのだと思います。
もらい火という、相互扶助
そして、種火が絶えた家は、隣家に火をもらいに行きました。もらい火です。火のついた炭や付け木を捧げ持って、急いで帰る。地域によっては、もらい火には礼の品を添える作法もありました。火を貸せるのは、火を守っている家だけ。つまり集落の火は、各家の竈で分散して守られた、共有の資源でもあったのです。醤油や味噌の貸し借りと同じ、いやそれ以上に切実な、暮らしの相互扶助でした。
現代のもらい火は、薪のおすそ分け
この文化、現代の薪の暮らしに、形を変えて生きています。薪のおすそ分けです。「今年は原木がたくさん入ったから」と軽トラで届く薪。庭木を切った家から回ってくる玉切り。お返しは野菜や、サウナへの招待。薪棚の貸し借り、焚き付けのやりとり、着火のコツの伝授。火の家同士は、自然と、分け合う間柄になっていきます。ご近所に火の家が増えるほど、この輪は豊かになる。私たちが一軒ずつ設置を増やすことは、この輪を編み足すことでもあります。(ご近所との作法は、こちら。)
火の輪の、結び目として
岩手・盛岡のD'STYLEは、薪の販売と設置を通じて、この土地の火の輪の結び目でありたいと思っています。あなたの家が、いつか誰かに火を分ける側になりますように。ご相談、いつでもどうぞ。



