マッチもライターもなかった時代、火はどうやって手に入れたのか。火打ち石やきりもみで起こすのは、実は大仕事でした。だから、暮らしの答えはこうでした。火は、絶やさず守るもの。そして、絶えたら、隣から分けてもらうもの。今日は、「火を分ける」という文化の話です。この系譜は、今の薪の暮らしにも、ちゃんと続いています。

火を起こすのは、大仕事だった
火打ち石で火花を散らし、火口(ほくち)に移し、そっと息を吹きかけて炎に育てる。きりもみ式なら、棒を両手でもみ続けて、摩擦熱で煙を出す。どちらも、慣れた人でも汗をかく作業で、湿った日には何度もやり直しになりました。だから、いったん手にした火を消してしまうのは、大きな損失。「火を一から起こす」より「火を絶やさない」ほうが、はるかに理にかなっていたのです。この切実さが、火を守る文化と、火を分け合う文化の、両方を生みました。
種火は、家の命だった
囲炉裏の時代、夜は熾火を灰に埋けて、朝それを掘り起こして一日が始まりました。種火を絶やすのは主婦の失態とされ、「火種を絶やすな」は家訓の定番。古代ローマでも、神殿の聖なる火を絶やさぬよう、巫女たちが交代で守り続けたと言います。火を絶やさないことは、洋の東西を問わず、暮らしと祈りの根っこにありました。今、薪ストーブの朝に灰から熾火を起こすたび(朝の話)、私たちは、この何百年、何千年の朝の続きをやっているわけです。
火の神を、家々が祀った
火の切実さは、信仰にもなりました。かまどには竈神(かまどがみ)、荒神(こうじん)が宿るとされ、台所は神聖な場所として大切にされました。火事を防ぐ火伏せの神として、秋葉や愛宕の信仰が全国に広がったのも、火が恵みであると同時に、畏れるべき力だったからです。火を粗末にしない、火の前で行儀よくする。そうした作法は、火の神への敬いから生まれました。薪ストーブの前で、なんとなく背筋が伸びる感覚。あれは、火を敬ってきた長い記憶の、名残なのだと思います。
もらい火という、相互扶助
そして、種火が絶えた家は、隣家に火をもらいに行きました。もらい火です。火のついた炭や付け木を捧げ持って、消えないよう急いで帰る。地域によっては、もらい火には礼の品を添える作法もありました。火を貸せるのは、火を守っている家だけ。つまり集落の火は、各家の竈で分散して守られた、共有の資源でもあったのです。醤油や味噌の貸し借りと同じ、いや、それ以上に切実な、暮らしの相互扶助でした。火を分けることは、安心を分けることでした。火を持つ家は集落で頼りにされ、火の絶えない家は、それだけで一目置かれたのです。一軒の竈の火が、めぐりめぐって集落全体を支えていました。
現代のもらい火は、薪のおすそ分け
この文化、現代の薪の暮らしに、形を変えて生きています。薪のおすそ分けです。「今年は原木がたくさん入ったから」と軽トラで届く薪。庭木を切った家から回ってくる玉切り。お返しは野菜や、サウナへの招待。薪棚の貸し借り、焚き付けのやりとり、着火のコツの伝授。火の家同士は、自然と、分け合う間柄になっていきます。ご近所に火の家が増えるほど、この輪は豊かになる。私たちが一軒ずつ設置を増やすことは、この輪を編み足すことでもあります。(ご近所との作法は、こちら。)
火の輪の、結び目として
岩手・盛岡のD'STYLEは、薪の販売と設置を通じて、この土地の火の輪の結び目でありたいと思っています。あなたの家が、いつか誰かに火を分ける側になりますように。ご相談、いつでもどうぞ。
写真: Ximonic (Simo Räsänen) (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)


