大人になってから、友達はできましたか。学生時代の友は遠くにいて、職場の付き合いはどこか仕事の続き。気づけば、利害関係のない新しい友達を、もう何年も作っていない。今日は、大人の友達づくりの話です。そして、サウナがその数少ない入り口になる、という話です。
大人に友達ができない、構造的な理由
子どもの頃、友達は勝手にできました。毎日同じ場所で、同じ時間を、利害なく過ごしていたからです。社会学では、友情の条件として「くり返し顔を合わせる接触」「無防備でいられる場」「共通の体験」が挙げられます。大人の暮らしには、この三つが揃う場所が、ほとんどありません。職場には利害があり、画面越しのやりとりでは無防備になれず、飲み会は単発で終わる。大人になって友達ができにくいのは、あなたの人柄のせいではなく、三つの条件が揃う場が消えたという、構造の問題なのです。
サウナは、「第三の場所」になれる
社会学者のレイ・オルデンバーグは、家庭でも職場でもない、心地よい第三の居場所を「サードプレイス」と呼びました。かつての井戸端、床屋、銭湯、喫茶店。肩書きを脱いで、ただの一人として過ごせる場所が、人の心をほどき、ゆるやかな縁を育てます。サウナは、現代によみがえったサードプレイスです。効率も生産性も求められない、ただ熱と水風呂があるだけの場所。だからこそ、そこには、大人がなくしかけていた「利害のない時間」が流れています。
サウナは、三条件が揃う稀な場所
そのサウナには、友情の三条件が、そろって揃っています。通えば毎週顔を合わせる常連という反復。裸で汗を流す、これ以上ない無防備。熱さと水風呂という共通体験。しかも会話は強制されず、「どうも」の会釈から始まって、何か月もかけて、ゆっくり縁が育つ。名前より先に、サウナの流儀で人柄が分かる。肩書きを知らないまま仲良くなって、あとから「え、そうだったんですか」と笑う。この順番の逆転が、大人の友情には、じつによく効くのです。(裸が肩書きを外す話は、旧友の話にも。)
フィンランドには、サウナ外交がある
本場フィンランドには、「サウナ外交」という言葉があります。政治家も経営者も、大事な話ほどサウナで交わす。裸で、熱の中で、肩書きも建前も汗と一緒に流れたあとには、本音の会話が生まれるからです。フィンランドの人にとって、サウナは商談室であり、応接間であり、友をもてなす特別な場。誰かをサウナに招くことは、心を開く合図そのものなのです。裸のつき合いが人を近づけるのは、銭湯や湯治の文化を持つ私たちにも、よく分かる感覚です。同じ熱に耐え、同じ水風呂で息をのむ。言葉を交わさなくても、その体験を共にしたというだけで、人はふしぎと近くなるものです。
家サウナは、縁を招く側になる
自宅サウナの人は、この縁を、招く側から作れます。気になる人を「今度、うちのサウナどうですか」と誘う。この誘い文句は、飲みに行きましょうより軽く、家に上がる親密さがあり、断られても傷が浅い、じつは絶妙な社交の一手です。サウナ会で数回汗を流した相手は、もう立派な友達です。子どもの学校のパパ友、移住してきたご近所さん、趣味の仲間。「サウナで縁が広がった」という報告は、設置後のお客様から本当によく聞きます。(サウナ会の話は、こちら。)
いい縁の生まれる場所を
岩手・盛岡のD'STYLEは、ハルビア岩手県正規代理店として、縁の生まれる一坪をお手伝いしています。ちなみに当店の店先も、サウナ好き同士が知り合う場所になりつつあります。友達づくりの構造改革、始めませんか。ご相談、いつでもどうぞ。
写真: David Haile (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)



