北東北・秋田編、今日は少し変わった景色の話です。象潟。秋田県にかほ市、火の山・鳥海山の裾に広がる土地です。かつてここには、無数の小島が浮かぶ美しい潟湖がありました。ところが大地が動いて、湖は陸になった。今も田んぼの中に緑の島影を残す、大地の力が刻んだ景色の物語です。
松島と並び称された、潟
かつての象潟は、九十九島と呼ばれる小島が点在する、入り江のような潟湖でした。海とつながった穏やかな水面に、松の生えた小さな島々が浮かぶ。その美しさは「東の松島、西の象潟」と並び称されたほどです。宮城の松島が笑うような明るい景色なら、象潟はどこか物思いにふけるような、しっとりとした景色だったと伝わります。日本海の荒波を鳥海山と砂州がさえぎり、その内側に鏡のような水をたたえた潟が広がる。北の海辺に生まれた、たぐいまれな水の名所でした。潮の香りと松の緑、島影を映す静かな水面。訪れた人は、その穏やかな眺めに、しばし時を忘れたと伝わります。
芭蕉が見た、雨の象潟
元禄二年、西暦一六八九年、松尾芭蕉は奥の細道の旅で、この象潟を訪れました。芭蕉にとって、松島と象潟は旅の二大目的地だったといわれます。あいにくの雨の中、芭蕉は潟に舟を浮かべ、「象潟や雨に西施がねぶの花」の一句を残しました。雨にぬれて咲くねむの花を、中国の伝説の美女、西施のうれいに満ちた面影に重ねた句です。晴れた松島の陽気さと、雨の象潟のもの悲しさ。芭蕉はこの対比に、深く心を動かされました。三百年前、この水辺には、俳聖をうならせる景色があったのです。芭蕉は、あこがれの松島ではついに句を詠まなかったとも伝わります。それだけに、雨の象潟で残したこの一句には、格別の思いがこもっていたのでしょう。
大地が動いた、文化元年
その象潟の姿を一変させたのが、文化元年、西暦一八〇四年に起きた大地震です。鳥海山を震源とするこの地震で、象潟一帯の土地はおよそ二メートルも隆起しました。海とつながっていた潟の水は引き、湖底だった土地が現れて、やがて田んぼに変わっていきました。かつて水に浮かんでいた小島は、田んぼの中に点々と残る緑の丘となり、今もその姿をとどめています。稲穂の海の中に、松をいただいた島影が浮かぶ。水の景色から陸の景色へ。大地の力が、わずかな時間で名所を作り変えたのです。一夜にして潟が陸になったこの出来事は、当時の人々を大いに驚かせました。芭蕉が舟を浮かべたその水面が、田んぼに変わってしまったのですから、驚きは想像に余りあります。
火の山・鳥海山の裾で
この隆起を引き起こしたのは、鳥海山という火の山の営みです。鳥海山は、出羽富士とも呼ばれる美しい火山で、その地下のマグマの動きが、大地を持ち上げ、地震を起こし、象潟の景色を変えました。火は、薪ストーブやサウナの中で人を温めるだけではありません。地の底では、山を築き、大地を動かし、景色そのものを作り替える力になります。象潟の緑の島々は、その大地の火が残した記念碑です。鳥海山を背にした田んぼを歩けば、火の力の大きさが、静かに実感できます。水をたたえていたころの象潟も、田となった今の象潟も、どちらも火の山がかたちづくった景色にほかなりません。
大地の火を思いながら
手のひらの上の火から、山を動かす地の底の火まで。火にはさまざまな顔があります。象潟の島々は、その大きな火の物語を、今も静かに語り続けています。岩手・盛岡のD'STYLEは、暮らしの中の小さな火と蒸気を扱う店ですが、その火の背後にある大地の物語にも、心を寄せています。鳥海山の裾の景色をたずねる旅も、火の一年の楽しみに加えてみてください。
写真: Kotivalo (Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0)



