北東北・青森編、今日は音の話です。津軽三味線。青森の津軽地方で生まれ育った、力強く即興的な三味線の音楽です。撥で弦を叩きつけるような激しい奏法は、聴く者の腹の底を揺さぶります。雪に閉ざされた長い冬の中で、この熱い音楽がどのように生まれ、育ったのか。火のそばの芸能として、たどってみます。

叩きつける、北の三味線
三味線と聞くと、多くの人は、しっとりとした優雅な音色を思い浮かべます。ところが津軽三味線は、まるで違います。用いるのは、棹の太い太棹という楽器。撥を弦に叩きつけるように打ち下ろし、打楽器のような鋭い音を刻みます。決まった譜面をなぞるのではなく、その場の勢いで音を紡ぐ即興が身上で、弾き手の息づかいや気迫が、そのまま音になって噴き出します。北国の吹雪のような激しさと、こみ上げる情熱。津軽三味線の音には、この土地の厳しい風土が、まるごと詰まっています。同じ曲でも、弾き手が違えば、まるで別の音楽になります。その日の気分や場の空気によっても、音は刻々と姿を変える。二度と同じ演奏がないところに、この音楽の醍醐味があります。
門付けの芸から、生まれた
津軽三味線の始まりは、明治のころにさかのぼります。生みの親となったのは、目の不自由な旅の芸人たちでした。彼らはボサマと呼ばれ、家々の門口に立って三味線を弾き、わずかな米や銭を受け取って暮らしを立てる、門付けという芸を続けていました。厳しい暮らしの中で、道行く人の足を止めさせ、家の人の心を動かすには、優しい音では足りません。強く、激しく、耳を引きつける音が必要でした。生きるための切実な工夫が、あの叩きつける奏法を生み出したのです。津軽三味線の熱は、雪国を生き抜いた人々の、命がけの音から始まりました。生きるために磨かれた音は、聴く人の胸を打つ力を持っています。芸の切実さが、そのまま美しさになっているのです。
仁太坊と、竹山と
この音楽を語るとき、二人の名前は欠かせません。ひとりは、津軽三味線の祖と仰がれる仁太坊です。幕末から明治にかけて生きた盲目の芸人で、他人の真似ではない自分だけの音を追い求め、叩き奏法の土台を築いたと伝わります。もうひとりは、二十世紀に活躍した高橋竹山です。竹山もまた目の不自由な芸人でしたが、その芸の深さで津軽三味線を舞台芸術の高みへ引き上げ、全国にその名を知らしめました。門付けの芸から、コンサートホールで聴かれる音楽へ。厳しい境遇を生きた人々の情熱が、この音楽を鍛え上げたのです。目が見えないぶん、彼らの耳と指は研ぎ澄まされ、音のわずかな違いをとらえました。逆境の中で育まれた鋭い感覚が、この音楽に比類ない深みを与えたのです。
冬の家の中の、熱
津軽三味線は、雪深い冬の芸能です。外は吹雪、戸は固く閉ざされ、人々は家の中で長い夜を過ごします。囲炉裏やストーブの火を囲み、その熱に体を温めながら、三味線の音に耳を傾ける。外の寒さが厳しいほど、家の中の火と音の熱は、いっそう濃く感じられます。冷たい季節に、屋内で燃え上がる情熱の音楽。これは、寒さがあるからこそ生まれた文化です。火のそばで激しい撥の音を聴く冬の夜は、北国だけが知る、豊かな時間です。
火のそばの音を、盛岡で
外の寒さと、家の中の熱。津軽三味線は、その対比の中で育った音楽です。岩手・盛岡のD'STYLEは、その家の中の熱をつくる、薪ストーブとサウナの店です。吹雪の夜、火のそばで熱い音楽に浸る。そんな北国の冬の楽しみ方も、火のある暮らしのひとつです。冬をむしろ待ち遠しくする暮らしを、店でご相談ください。
写真: KQuhen (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)



