岩手県一関市の東山町に、砂鉄川が石灰岩を削ってできた深い渓谷があります。猊鼻渓(げいびけい)。高さ五十メートルほどの断崖が、およそ二キロにわたって川の両岸にそびえる名勝です。1925年に国の名勝に指定され、日本百景にも数えられました。舟にゆられて谷をさかのぼると、両岸の岸壁がしだいにせまり、空が細く切りとられていく。その静かな迫力は、写真ではなかなか伝えきれません。今日は北東北・岩手編、この渓谷と、冬をあたためる火の話をします。
獅子の鼻に似た、大岩
猊鼻の名は、渓谷のいちばん奥にある大岩「猊鼻岩」から来ています。「猊」は獅子を意味する古い字で、突き出た岩の形が獅子の鼻に似ていることから名付けられました。石灰岩の白い岸壁は、長い年月をかけて砂鉄川の水が削り出したものです。岸壁には藤やツツジが根を張り、初夏には花が、秋には紅葉が、白い岩肌をいろどります。切り立った岸壁のあいだを静かに流れる川面は深く澄み、のぞきこむと吸い込まれそうな青をたたえています。
船頭の歌が、谷にひびく
猊鼻渓の名物は、なんといっても舟下りです。船頭が竿一本で木の舟を操り、片道およそ二キロをゆっくりとさかのぼります。エンジンを使わないので、聞こえるのは水の音と、竿が川底をつく音だけ。折り返し地点では、船頭が「げいび追分」を朗々と歌い上げます。その歌声が両岸の岸壁に反響し、谷いっぱいに広がる瞬間は、この舟下りのいちばんの聞かせどころです。音がよくひびくのは、高い岸壁が音を閉じこめるからです。
こたつ舟で、冬を越える
冬の猊鼻渓には、こたつ舟が登場します。舟の中央に炭火のこたつをすえ、毛布をかけて、雪の谷を暖まりながら下る趣向です。しんしんと冷える谷あいで、こたつの小さな火が足元をあたためる。外は雪、手のひらには炭のぬくもり。この寒暖の落差こそ、冬の舟下りのごちそうです。凍えた体に届く一点の火のありがたさは、寒い季節にこそ、いっそう身にしみます。谷に雪が舞う中を、あたたかい舟でゆく時間は、ここでしか味わえません。
水が刻んだ、静けさ
猊鼻渓の魅力は、その静けさにあります。高い岸壁にはさまれた谷は、風も音も少なく、時間がゆっくり流れます。二キロの岸壁は、数えきれない歳月をかけて水が石灰岩を刻んだ結果です。急がず、力まず、水はただ流れ続けて、この深い谷を作りました。静かな場所に身を置くと、心のざわめきも自然としずまります。日々のいそがしさを離れ、水と岩の時間に身をゆだねる。それが、この渓谷が与えてくれる休息です。
四季で、顔を変える谷
猊鼻渓の魅力は、季節ごとにまったく違う表情を見せるところにもあります。春には岸壁の藤が薄むらさきの花をたらし、初夏にはツツジが白い岩肌を彩る。夏は木々の緑が谷を涼しくおおい、水面には涼やかな風が渡ります。秋は紅葉が岸壁を赤や黄に染めあげ、そして冬は、しんと雪の積もる谷を、こたつ舟がゆっくりと下っていく。同じ二キロの水路が、めぐる季節ごとに、まるで違う名勝になる。何度おとずれても飽きることがないのは、この谷が一年を通して、いくつもの顔を用意して待っていてくれるからです。
冷えた体に、火と蒸気を
雪の谷を舟で下り、こたつの火で暖まる。この寒さと火の取り合わせは、サウナの熱と水風呂の心地よさによく似ています。冷えた体を火であたためるほど、その熱はありがたく、深くしみわたる。岩手・盛岡のD'STYLEは、ハルビアのサウナヒーターや薪ストーブで、寒い季節をむしろ楽しみに変える、火と蒸気のある暮らしをお手伝いしています。猊鼻の谷の話も、店でどうぞ。
写真: Ninaraas (Wikimedia Commons, CC BY 4.0)



