青森県、本州の北の果ての下北半島。その突端の尻屋崎(しりやざき)に、冬の名物がいます。寒立馬(かんだちめ)。真冬の吹雪の中でも、屋根の下に逃げ込まず、風雪に耐えて草原に立ち尽くす馬たちです。今日は北東北・青森編、北国の寒さと生きものの知恵の話をします。
吹雪に立つ、ずんぐりした馬
寒立馬は、サラブレッドのようなすらりとした馬ではありません。胴が太く、脚が短く、全体にずんぐりと力強い体つき。厚い毛におおわれ、寒さと粗末な餌に強い、北国の風土が育てた馬です。もともとは南部馬の系統を引く農用馬で、雪の中でも自分で枯れ草を掘り出して食べ、氷点下の風に背を向けて、じっと寒さをやり過ごします。「寒立」の名は、冬の海辺で寒風に耐えて立つ姿から付いたと言われます。吹雪の白の中に、黒い馬影が点々と立つ光景は、青森の冬を象徴する厳しくも美しい風景です。尻屋崎の白い灯台と、雪と、馬。忘れがたい取り合わせです。
耐えることを、選んだ体
なぜ暖かい小屋に入れず、寒空に置くのか。それは、この馬たちが寒さに耐えるように育ってきたからです。厚い毛皮と、脂肪をたくわえた体は、多少の吹雪ならびくともしません。むしろ、へたに甘やかすより、自然のリズムの中で暮らすほうが、この馬には健康なのです。厳しさに逆らわず、体そのものを厳しさに合わせて作り変える。これは、フィンランドの人々のシス(こちら)や、北国の生きもの全般に通じる知恵です。白鳥(こちら)が凍らない湖を選ぶように、寒立馬は耐える体を選びました。北の生きものは、それぞれのやり方で冬と折り合いをつけています。
人は、火で冬と折り合う
馬が厚い毛で寒さに耐えるなら、人は火で冬と折り合ってきました。厚い毛皮を持たない人間は、そのかわりに火を手に入れ、薪を焚き、湯を沸かし、蒸気で体を温める術を身につけた。下北のような厳しい土地で人が暮らしてこられたのは、火のおかげです。寒立馬が吹雪に立つ同じ冬、すぐそばの家では、囲炉裏やストーブの火が家族を守ってきました。耐える馬と、火を焚く人。同じ北国の冬を、違うやり方で越える。この対比を思うと、火のありがたさが、いっそう身にしみます。
下北への、冬の旅
寒立馬に会いたいなら、冬の尻屋崎へ。ただし、冬季は道路が閉鎖され、馬たちは風の弱い「アタカ」という越冬地に移されることもあるので、訪問前に現地の情報を確かめてください。恐山や大間のマグロで知られる下北半島は、本州の北の果ての、独特の空気が流れる土地です。盛岡からは遠いですが、その遠さもふくめて、旅のかいがあります。厳しい冬を旅したあとは、温かい湯と火が、いっそう恋しくなります。
南部の馬の、末裔たち
寒立馬のルーツをたどると、かつて北東北で盛んに飼われた南部馬に行き着きます。旧南部藩は馬の産地として知られ(曲り家の話)、軍馬や農耕馬として、たくましい馬が育てられてきました。時代が変わり、機械が馬の仕事を引き継いだあとも、下北の厳しい風土に合ったこの馬たちは、寒立馬として静かに生き続けています。数は多くありませんが、地元の人々に守られ、青森の冬の風物詩として大切にされています。効率や便利さでは測れない、土地の記憶のような存在。火の道具も、馬も、その土地の暮らしが長い時間をかけて育てた財産です。守り続ける人がいるかぎり、こうした風景は次の世代へと受け継がれていきます。
火で冬を越す暮らしを、盛岡から
馬は毛で、人は火で、北国の冬を越えてきました。岩手・盛岡のD'STYLEは、その「人の側の知恵」である薪ストーブやハルビアのサウナヒーターを商う店です。厳しい冬をむしろ楽しみに変える、火のある暮らしのご相談を、店でどうぞ。
写真: ZemplinTemplar (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)



