盛岡の冬の使者といえば、白鳥です。市街地からほど近い高松の池に、毎年秋の終わり、シベリアから白鳥たちが渡ってきます。コォー、コォーというあの声が聞こえはじめると、盛岡の冬は本番。今日は、冬の客人と、水辺の散歩の話です。
数千キロを飛んで、盛岡へ
高松の池に来るオオハクチョウたちは、繁殖地のシベリアから、数千キロを家族で飛んできます。子連れの群れは、灰色の羽の幼鳥を挟んで編隊を組み、何日もかけて海を渡る。あの優雅な姿は、実は大変な長旅の果ての姿です。彼らがわざわざ盛岡を選ぶのは、凍りきらない水面と、安全な休息地があるから。白鳥が越冬できる街は、水と環境の良さの、生きた証明書でもあります(水の話)。桜の名所として名高い高松の池は、冬は白鳥の池になる。一つの池が、春と冬で二つの名所を務めています。
白鳥は、生涯のつがいで生きる
白鳥には、心温まる習性があります。一度結ばれたつがいは、多くの場合、生涯を連れ添うと言われます。渡りも子育ても、いつも夫婦一緒。池で寄り添って泳ぐ二羽や、灰色の羽の幼鳥をあいだに挟んだ家族連れは、そうした絆の姿です。数千キロの厳しい長旅を、家族という単位で乗り越えていく。池のほとりでしばらく眺めていると、鳴き交わす声や、羽をつくろい合うしぐさに、人の家族と変わらないぬくもりが見えてきます。冬の池は、たくさんの家族の物語であふれているのです。
冬の池の散歩は、いい薬です
白鳥の季節の高松の池は、冬の散歩コースの傑作です。雪の遊歩道、羽づくろいする白鳥、氷の上のカモたち、正面には岩手山。寒いからこそ空気は澄み、人は少なく、静けさは深い。冬ごもりの体(こちら)に、三十分の雪の散歩は、ちょうどいい薬です。冷えた体で帰って、サウナで解凍(この理屈です)。「白鳥を見てからサウナ」は、盛岡の冬の午後の、上等な過ごし方だと思います。
高松の池は、二つの季節を持つ
客人を迎える高松の池は、もともと江戸期に作られた農業用のため池でした。今では市民の憩いの場として親しまれ、日本さくら名所百選にも選ばれた、屈指の花の名所です。春は、池をぐるりと囲むソメイヨシノが水面に映り、大勢の花見客でにぎわう。それが冬になると、花の代わりに白鳥とカモが水面を埋めます。桜が主役の池と、白鳥が主役の池。ひとつの水辺が季節でまるで違う顔になるのは、盛岡の人にとって当たり前で、よそから来た人が驚く贅沢な風景です。池のまわりには一周およそ二キロの遊歩道が整い、四季を通じて散歩やジョギングの人が絶えません。休日は家族連れでにぎわい、朝は鳥の声で満ちる。都会の大きな池のような派手さはありませんが、市街地からすぐの場所に、これだけ豊かな水辺があること自体が、盛岡という街のふところの深さです。渡り鳥が安心して羽を休められる池を、街の真ん中に持っている。それは、暮らしと自然の距離が近い、この土地の何よりの財産です。
渡り鳥に、暮らしを教わる
白鳥たちの越冬は、示唆に富んでいます。彼らは冬と戦いません。冬に合う場所へ移動し、日中は食べ、夜は群れで休み、春が来たらまた北へ。無理をせず、季節に沿って暮らしの形を変える。人間の冬ごもりと火の暮らしも、根は同じ知恵です。違いは、私たちは移動の代わりに、家に「冬に合う場所」を作れること。火のそばと蒸気の部屋は、いわば、渡らない者の越冬地です。
越冬地のある家を
岩手・盛岡のD'STYLEは、あなたの家の越冬地づくりをお手伝いしています。白鳥の声が聞こえたら、冬支度の合図(季節の合図に追加してください)。ご相談、いつでもどうぞ。
写真: Limnoporus (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)



