俳句の歳時記をめくっていて、ふと手が止まりました。「ストーブ」。冬の季語として、ちゃんと載っているのです。「暖炉」も「焚火」も「炭火」も「湯たんぽ」も。日本人は、暖の道具たちを、季節を告げる言葉として、十七音の中に住まわせてきました。今日は、火と蒸気と、言葉の話。理屈はいつもより少なめに、のんびりとお付き合いください。

歳時記という、季節の辞書
俳句には、季節を表す言葉「季語」を一つ詠み込む、という約束があります。その季語を分類し、意味と例句を集めた辞書が「歳時記」です。江戸時代に体系づけられ、明治には正岡子規が、大正から昭和にかけては高浜虚子が、整理を進めました。今の歳時記には、春夏秋冬と新年をあわせて、数千もの季語が並びます。天文、地理、生活、行事。暮らしのすべてが、季節の言葉として登録されている。日本人は、四季を「感じる」だけでなく、律儀に「編集して」きた民族なのです。
暖の季語は、暮らしの記録
冬の季語には、暖にまつわるものが、驚くほどたくさんあります。囲炉裏、火鉢、炬燵、行火、湯ざめ、夜着、雪見酒。それぞれの言葉の向こうに、その道具と暮らした人々の冬が見えます。「湯ざめ」が季語になっているのが、いかにも日本らしい。風呂上がりの体が冷えていく、あのわびしさまで、季節の情感として味わってしまう。寒さを嘆くのではなく、寒さの中の小さな情景を愛でる。囲炉裏に手をかざす時間も、炬燵で丸くなる夜も、湯たんぽを抱く布団の中も、ぜんぶ季語になっている。歳時記は、日本人の冬の楽しみ方の、膨大な記録なのです。
焚火の句の、あたたかさ
焚火の句には、名句が多いと言われます。火を囲む人の顔、はぜる音、離れがたさ。小林一茶も、与謝蕪村も、火のそばでは、私たちと同じ顔をしていたのだと思うと、なんだかうれしくなります。薪ストーブの暮らしを始めると、こうした冬の句が、急に自分ごとになります。ストーブの句も、雪の句も、湯ざめの句も、ぜんぶ「わかる」ようになる。暮らしが変わると、言葉の効き方まで変わるのです。俳句をやらない人でも、火のそばでは、ふと言葉を探したくなる。それが、季語の生まれる、はじまりの場所です。(火を見ると落ち着く理由は、こちら。)
サウナは、まだ季語ではないけれど
いっぽう、サウナは、まだ歳時記に載っていません。新しい言葉ですから、当然です。でも、考えてみてください。雪の庭の外気浴、湯気の立つ体、凍った髪。サウナの暮らしには、十七音に収めたくなる瞬間が、いくらでもあります。石にかけた水が、白い湯気になって立ちのぼる、あの一瞬。汗ばんだ肌に、雪がふわりと触れる、あの冷たさ。どれも、季節がなければ生まれない情景です。「初ロウリュ」は新年の季語に、「雪ダイブ」は冬の季語に、いつかなってもおかしくない。季語は、多くの人がその言葉で季節を感じるようになったとき、自然に生まれるものです。サウナが日本の暮らしに根づいていけば、百年後の歳時記には、きっと載っています。その最初の一句を、あなたの庭から詠んでみませんか。(サウナの言葉たちの話は、こちら。)
五感の暮らしは、言葉を育てる
火のはぜる音、蒸気の匂い、雪あかり、外気浴の空。薪ストーブとサウナの暮らしは、五感の暮らしです。そして五感が動くと、人は言葉にしたくなる。日記でも、俳句でも、家族へのひと言でも。岩手・盛岡のD'STYLEは、ハースストーン、バーモントキャスティングス、ハルビアの正規代理店として、言葉にしたくなる暮らしをお手伝いしています。歳時記と薪ストーブのある居間。なかなか、いいと思いませんか。
写真: Tiia Monto (Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0)



