秋田の居酒屋で「いぶりがっこにクリームチーズ」を頼むと、琥珀色の輪切りが出てきます。かじると、パリッ、のあとに燻製の香り。世界の漬物を見渡しても、燻してから漬ける漬物は、きわめて珍しい存在です。今日は北東北・秋田編、いぶりがっこと囲炉裏の煙の話です。

雪が生んだ、やむにやまれぬ発明
漬物用の大根は、本来なら外に干して水分を抜きます。ところが秋田の内陸、横手や湯沢のあたりは、大根を干したい晩秋には、もう雪と湿気の季節。外では干せません。そこで先人は、大根を囲炉裏の上に吊るしました。家を暖める火の熱と煙が、大根を乾かしながら、燻香をまとわせる。「いぶり」は燻すこと、「がっこ」は秋田の言葉で漬物のこと。暖房の火と台所の仕事が、ひとつ屋根の下で自然に重なった、雪国ならではの知恵の発明です。困った土地の事情が、世界に類のない味を生んだわけです。
燻して、漬ける。二段構えの保存食
いぶりがっこの作り方は、二段構えです。まず、大根を囲炉裏の火の上に幾日も吊るして、じっくり燻し乾かす。囲炉裏が消えた今は、専用の燻し小屋で、ナラやサクラの薪の煙をあてます。しっかり水分が抜けたら、次は米ぬかと塩で漬け込んで、冬じゅうかけて熟成させる。燻製の香りと、ぬか漬けの乳酸発酵。二つの保存術が一本の大根に重なるから、あの複雑な旨みと、こりっとした歯ごたえが生まれます。手間を惜しまなかった時代の、根気の結晶です。ぬか漬けの乳酸発酵は、独特のまろやかな酸味と、体にうれしい働きをもたらすとも言われます。大根という素朴な野菜が、火と時間と、目に見えない微生物の力を借りて、これほど奥行きのある一品に育つ。保存のための必死の工夫が、いつしか、土地を代表するごちそうへと昇華したわけです。
燻すことは、火の保存術
煙には、食べものを腐りにくくする成分と、あの香ばしい香りの両方が入っています。冷蔵庫のない時代、燻しは、塩と干しに並ぶ保存の三本柱でした。この「煙で食を守る」文化は、フィンランドの魚の燻製とも、スモークサウナの黒い壁(こちら)とも地続きです。煙を嫌わず、使いこなす。薪の火のそばで暮らしてきた土地は、洋の東西を問わず、煙を財産に変えてきました。いぶりがっこは、その日本代表のような食べものです。
チーズと洋酒に、なぜ合う
近ごろ定番の「いぶりがっこにクリームチーズ」は、じつは理にかなった取り合わせです。燻香は、もともと乳製品と相性がいい。スモークチーズがおいしいのと、同じ理屈です。塩気と燻りの効いたがっこに、クリームチーズのまろやかな脂がのると、香りが引き立ち、角が取れる。日本酒はもちろん、ウイスキーやワインにも寄り添います。薪ストーブの夜、炉端で炙った餅の横に、このひと皿。燻香どうしが呼び合って、炉端おつまみの王様になります。
盛岡から、燻香の旅へ
いぶりがっこの本場、横手・湯沢へは、盛岡から高速で気軽に行けます。冬なら、かまくらの横手(こちら)とあわせて、直売所で樽出しのがっこを買い、帰りに乳頭や田沢湖(こちら)に寄る。火と煙と湯の、完璧な秋田日帰りコースです。土産はもちろん、いぶりがっこ。持ち帰って、薪ストーブの夜の相棒にしてください。冷えた体を湯と蒸気であたためたあとの、燻香のひと切れ。北国の冬の楽しみが、ここにそろいます。
煙の似合う暮らし、始めませんか
薪ストーブの炉で焼いた餅に、いぶりがっこと熱いお茶。囲炉裏の時代の楽しみは、現代の薪ストーブの上に、ちゃんと引き継げます。岩手・盛岡のD'STYLEは、火と煙の似合う暮らしの道具を商う店です。秋田帰りのお土産話、店で聞かせてください。
写真: Modris Putns (Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0)



