サウナ上がりの頬は「火照る」。議論の「口火を切る」。トラブルが「飛び火」して、家計は「火の車」。よく見ると、私たちの日本語は、火の言葉だらけです。暮らしから裸火がほとんど消えた現代でも、言葉の中では、火が今なお煌々と燃えている。今日は、火のつく日本語をめぐる、のんびりした語源散歩です。

体に宿る火 / 火照る、火傷、火急
「火照(ほて)る」は、体が火のように熱くなること。サウナーには一番身近な、火の言葉です。「火傷(やけど)」は文字どおり火の傷。「火急の用」は、火事のように差し迫った用事のこと。昔の暮らしで、火は最も身近な、熱さと危険の基準でした。熱さも、痛みも、緊急さも、みんな火にたとえた。物差しがいつも火だった時代の、言葉の化石です。外気浴で頬が火照るのを感じるたび、私たちは、火を暮らしの中心に置いていた何百年も前の人々と、同じ体感を、同じ言葉でなぞっているわけです。言葉は、こうして体温を運んでいます。
始まりの火 / 火種、口火、火付け役
面白いのは、「始まり」を意味する火の言葉の多さです。「火種」は、絶やしてはならない火の元。転じて争いの火種にもなりますが、本来は囲炉裏の時代、灰に埋けて夜通し守り続けた、大切な熾火のことでした。「口火を切る」の口火は、火縄銃や灯火に最初に点ける火のこと。「火付け役」も、同じ発想から生まれた言葉です。物事の始まりに火の言葉が使われるのは、一日が火起こしから始まる暮らしを、私たちが何百年も続けてきたから。朝、灰の下の熾火から火を起こす薪ストーブの家では、この語感が、そのまま毎朝の実感に戻ってきます。(朝の火起こしは、こちら。)
暮らしの火 / 火の車、火事場、灯火
「火の車」は、仏教語の火車(かしゃ)から来た、燃えるように苦しい家計の表現。「火事場の馬鹿力」「対岸の火事」「焼け石に水」。火事にまつわる言葉の多さは、木と紙の家に住んできた民族の、切実な記憶そのものです。いっぽうで「灯火(ともしび)」「火影(ほかげ)」のような、あたたかく美しい火の言葉も、日本語はちゃんと持っています。「囲炉裏端」「火鉢を囲む」が団らんの代名詞だったように、火は怖れの対象であると同時に、人が集う象徴でもありました。恐れと憧れ。その両方を、日本語は火という一字に託してきたのです。(囲炉裏の話は、こちら。)
祭りと祈りの火 / どんど焼き、迎え火
火は、暮らしだけでなく、祭りと祈りの言葉にもなりました。小正月に正月飾りを燃やす「どんど焼き」、その火で焼いた餅を食べて一年の無病息災を願う風習は、岩手の各地にも残っています。お盆には「迎え火」を焚いて先祖の霊を招き、「送り火」で送り出す。かがり火、灯籠流し、火祭り。人生の節目や季節の変わり目には、いつも火が焚かれてきました。火には、暗闇や災いを祓い、心を切り替える力があると、昔の人は信じたのです。サウナで汗を流して気持ちを入れ替える感覚も、どこかで、この火の力への信頼と地続きなのだと思います。火は、昔も今も、人の心を切り替える、身近な装置なのです。
言葉が、体感に戻る家
火のない暮らしでは、これらの言葉は、比喩としてだけ生きています。でも、薪ストーブとサウナの家では、言葉がふたたび体感に戻ります。火種を守る朝、火加減を読む夜、火照る頬の外気浴。言葉の奥で眠っていた火の記憶が、日々の暮らしの中で、ゆっくり目を覚ましていく。日本語がもう一段おいしく感じられる家、と言ってもいいと思います。岩手・盛岡のD'STYLEは、その家づくりをお手伝いしています。ご相談、いつでもどうぞ。
写真: Periegetes (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)



