岩手で火と石を商う者として、一度は書かねばならない人がいます。宮沢賢治。花巻に生まれ、この土地をイーハトーブと名づけた詩人です。賢治の作品世界には、火と石と鉱物が、驚くほどたくさん、きらきらと埋まっています。今日は、賢治の目を少しだけ借りて、火と石のある暮らしを、眺め直してみる回です。

花巻の、石っこ賢さん
宮沢賢治は、一八九六年、岩手県花巻の質・古着商の家に生まれました。子どものころから石を拾い集めては眺め、近所の人に「石っこ賢さん」と呼ばれた少年です。長じて盛岡高等農林学校(今の岩手大学農学部)で地質と土壌を学び、教師として、また農民とともに、この寒い土地の農業に生涯をささげました。「雨ニモマケズ」の手帳が見つかったのは、三十七歳で世を去ったあとのこと。生前に世に出た本はごくわずかで、賢治が世界の宝になったのは、亡くなってからでした。土に生き、星を見上げ、鉱物を愛したその一生は、火と石と自然のそばで暮らす岩手の私たちにとって、今も道しるべのような存在です。
蠍の火という、燃え方
『銀河鉄道の夜』に、蠍(さそり)の火の挿話があります。いたちに追われて井戸に落ちた蠍が、「どうかこの次には、まことのみんなの幸のために、私のからだをお使いください」と祈り、その体は真っ赤な美しい火になって、夜の空を照らし続ける。自分を燃やして、誰かをあたためる火。賢治の描く火は、いつもどこか、祈りの形をしています。薪ストーブの炎を眺めていると、時々この挿話を思い出します。木が何十年もためこんだ日の光を、最後に燃やして、家族をあたためている。薪の火も、蠍の火の親戚だと思うのです。(薪は太陽の缶詰、という話はこちら。)
賢治は、石の人でもあった
賢治は詩人である前に、鉱物と地質の人でした。石っこ賢さんと呼ばれた少年時代から、生涯、鉱物標本を愛した人。作品には蛋白石(オパール)、黄水晶、蛇紋岩と、鉱物の名が宝石箱のように散りばめられています。その賢治の目で、サウナヒーターの上の石を見てみてください。何億年も前の火成岩が、再び火に熱されて、蒸気を上げている。かんらん岩のロウリュは、賢治好みの、地質学的な蒸気です。マグマが地の底で冷えて固まり、長い時をかけて地表へ現れ、砕かれてヒーターの上に積まれ、また火に炙られて蒸気になる。一杯のロウリュの湯気の裏に、何億年もの地球の物語がある。石の来歴を思いながら浴びるロウリュは、味わいが一段深くなります。(石の話は、こちら。)
イーハトーブの冬を、生きた人
そして賢治は、岩手の冬と冷害の切実さを、誰より知っていた人でした(やませの話はこちら)。『水仙月の四日』の吹雪の描写、『雪渡り』の「キックキックトントン」という雪の上の足音。厳しさと美しさを、同じまなざしで書けたのが賢治です。雪を災いとだけ見ず、キックキックと歌いながら渡る。飢饉に苦しむ土地で、それでも自然の美を見つめ続けたこの精神は、雪の日にサウナを焚いて外気浴を楽しむ私たちの、遠い先輩だと勝手に思っています。
みんなの幸のための火を
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」。『農民芸術概論綱要』に残る賢治の言葉は大きすぎて、私たちの商売には荷が重い。でも、一軒の家があたたかくなれば、その家族の冬は確かに幸福になる。その一軒を、一軒ずつ積み重ねることなら、私たちにもできます。岩手・盛岡のD'STYLEは、イーハトーブの土地の火の店として、今日も石を積み、薪を割っています。ご相談、いつでもどうぞ。
写真: Cheng-en Cheng (Wikimedia Commons, CC BY-SA 2.0)



