お湯があれば体はきれいになる。当たり前のようで、その「当たり前」を帝政ロシアの公文書統計で確かめた研究者たちがいます。結果は、思っていたほど単純ではありませんでした。岩手で自宅サウナを作ってきた立場から、その研究を読み直します。

雪解けの水を、薪で沸かす
岩手の冬、山から下りてくる水は骨まで冷えています。その水を薪で沸かし、体を洗い、温める。この地に暮らす者にとって、風呂とはずっとそういうものでした。
ロシアにも同じ営みがあります。バーニャと呼ばれる蒸し風呂は、農村から都市まで、帝政の時代からロシアの暮らしに根を張ってきました。熱した石に水をかけ、蒸気を浴び、白樺の枝束で体を叩く。サウナと近い作法です。
「風呂に入る人が増えれば、街は健康になる」。そう信じたくなる話です。しかし、それを実際の数字で確かめた研究者がいました。

ブラウン大学の二人が読んだ公文書統計
経済学者のコンスタンティン・カシン氏と、ロシア史を専門とするイーサン・ポロック氏(ブラウン大学)は、2013年に発表した論文「Public Health and Bathing in Late Imperial Russia: A Statistical Approach」(『ロシアン・レビュー』誌 第72号)で、19世紀ロシアの公文書統計を使い、浴場の分布密度と死亡率の関係を定量的に分析しました。
定量的分析というのは、印象ではなく数字で関係を確かめる、という意味です。浴場が多い地域ほど死亡率が低いなら、そこには何らかの関係がある、という仮説を立てて検証したわけです。
出た結論は「良くなった」ではなかった
結果は、通俗的な期待とは違うものでした。浴場の分布密度と死亡率の間に、改善効果は認められなかったのです。
さらに踏み込んだ数字もあります。浴場の数が多い地域ほど、赤痢(せきり。細菌による感染性の下痢の病気です)の広がりと正の関連を示しうる、という報告です。正の関連というのは、浴場が増えるほど赤痢も増える方向に数字が動く、という意味です。ここで大事なのは、この研究はあくまで統計的な関連を見たものであり、「浴場が赤痢を引き起こした」という因果関係を証明したものではない、という点です。関連と因果は別のものです。
都合の良い数字だけを拾うなら、ここで筆を止めたくなります。しかし研究が示しているのは、「熱と湯があれば健康になる」という単純な図式が、少なくとも19世紀ロシアの統計では支持されなかった、という一点です。それ以上でも以下でもありません。
なぜ、そうなったのか
論文自体が原因を一つに絞っているわけではありませんが、多くの人が同じ水を使う施設では、水そのものの管理が結果を左右する、という見方は成り立ちます。熱があっても、水の入れ替えや排水の仕組みが追いつかなければ、清潔さは保てません。
ポロック氏は同じテーマで単著『Without the Banya We Would Perish: A History of the Russian Bathhouse』(オックスフォード大学出版局、2019年)を刊行し、フィナンシャル・タイムズ紙の2019年歴史部門ベストブックにも選ばれています。あくまで帝政期ロシアの統計解析と歴史の話であり、現代の設備の性能を論じたものではありません。


共用の熱と、水をどう設計するか
この研究を読んで、私たちが思い出すのは自社の見積書です。自宅サウナの相談を受けるとき、必ず項目に入れているものがあります。給排水の経路、水風呂の水の入れ替え頻度、使用後にサウナ室内をどう乾かすか、そして岩手の冬に配管を凍らせない納め方です。
「熱ければ大丈夫」ではありません。熱と水は別々に設計するもの。160年前の統計が示したのは、その順番を間違えると結果がついてこない、という一点でした。

熱いサウナ室のとなりに、静かな水がある。この組み合わせは160年前のロシアでも今の岩手でも変わりません。ただし、熱があるだけでは足りない。水をどう入れ替え、どう流し、冬にどう凍らせないか。その設計があってはじめて、サウナは気持ちよく使い続けられるものになります。D'STYLEでは薪サウナストーブと水風呂を合わせて設置する際、この給排水の設計を必ず見積書に項目として立てています。歴史の話を、明日の現場の判断に持ち帰るための一編でした。
本記事は研究の紹介であり、サウナの設置・使用による疾病の予防や治療の効果を示すものではありません。
参照した研究
- Konstantin Kashin, Ethan Pollock, "Public Health and Bathing in Late Imperial Russia: A Statistical Approach", The Russian Review vol.72 (January 2013), pp.66-93
- Ethan Pollock, Without the Banya We Would Perish: A History of the Russian Bathhouse, Oxford University Press, 2019
この記事は研究の紹介であり、効果を保証するものではありません。持病のある方、通院中・服薬中の方は、主治医にご相談のうえご利用ください。



