家づくりでは、広さが正義とされがちです。広いリビング、広い収納、広い庭。でも、暮らしの満足度を本当に変えるのは、案外、いちばん小さな部屋だったりします。今日は、一坪の贅沢の話。サウナという、家でいちばん小さくて、いちばん濃い部屋についてです。

利休は、二畳で宇宙を作った
小さな空間の底力を、日本人は昔から知っていました。茶室です。千利休が行き着いた待庵は、わずか二畳。にじり口から身をかがめて入れば、そこは日常から切り離された、濃密な時間の宇宙です。狭さは、貧しさではなく、濃度の装置。空間を絞るほど、感覚は研ぎ澄まされ、時間は深くなる。サウナに入るたび、私はこの茶室の知恵を思い出します。小さな木の部屋、簡素な腰掛け、儀式のようなロウリュ。サウナは、北欧の茶室なのです。(禅とサウナの話は、こちら。)
鴨長明の、方丈という自由
小さな部屋の豊かさを説いた古典が、日本にはあります。鴨長明の方丈記です。動乱の世に嫌気がさした長明は、晩年、京の郊外に一丈四方(およそ三メートル四方)の小さな庵を結び、そこで名随筆を書き上げました。方丈とは、まさにその一丈四方のこと。持ち物を減らし、住まいを絞ったからこそ得られた、身軽さと静けさ。八百年前の隠者が見つけたこの逆説を、現代の私たちは、庭の小さな木の部屋で追体験できます。小ささは、不自由ではなく、自由の別名なのです。
広い部屋は薄く、狭い部屋は濃い
考えてみると、広いリビングで過ごす時間は、案外「薄い」ものです。テレビがつき、スマホがあり、家事の続きが目に入り、意識はあちこちに散っている。いっぽう一坪のサウナの中では、その全部が閉め出されます。あるのは熱と、木と、自分だけ。物理的に狭いのに、体感の時間は広くて深い。九十分のサウナの記憶が、だらだら過ごした休日一日より濃いのは、この濃度の差です。部屋の価値は、面積ではなく、そこで流れる時間の濃さで測るべきだと思うのです。
小さいほど、心は守られる
狭い場所で、人はなぜ落ち着くのでしょう。子どもが押し入れや机の下に秘密基地をつくり、大人が個室のバーやコックピットめいた書斎に惹かれるのは、偶然ではありません。ぐるりを囲まれた小さな空間は、背後や周りを警戒しなくてよい安心を、体に与えてくれます。木の壁に近く囲まれ、ほのかな灯りに照らされたサウナの中は、この「守られている感覚」の宝庫です。熱と木香に包まれて、肩の力がすっと抜ける。広さでは決して手に入らない安らぎが、小さな一室には宿るのです。焚き火を囲むとき、人が自然と車座になって顔を寄せるのも、同じ心の働きでしょう。ほどよく狭く、ほどよく囲われた場所で、人はいちばん深く安心する。サウナは、その古い記憶を、木の壁と熱で呼び覚ましてくれる小部屋なのです。
坪単価で、いちばん幸福な部屋
実務的に言っても、サウナは面白い投資です。家の増築で一部屋足すことを思えば、庭の一坪のサウナは、ずっと現実的な規模。それでいて、毎日使われ、家族全員の健康と機嫌に効き、客人をもてなし、二十年働く。「坪単価あたりの幸福量」で家じゅうの部屋を採点したら、サウナはぶっちぎりの一位になる。使われない客間や納戸に化ける一坪と、毎晩ととのう一坪。同じ一坪の、まるで違う人生です。(費用の話は、こちら。)
あなたの家の、濃い一坪を
岩手・盛岡のD'STYLEは、ハルビア岩手県正規代理店として、小さくて濃い部屋の設置をお手伝いしています。庭の隅の一坪、使っていない物置の跡地。そこが家でいちばん愛される場所になる計画、一緒に立てませんか。ご相談、いつでもどうぞ。
写真: Erkki Räikkönen (Wikimedia Commons, CC BY 4.0)



