サウナの気持ちよさを人に説明しようとすると、いつも言葉が足りなくなります。ところが最近、いちばんしっくりくる説明を、意外な場所で見つけました。禅の言葉です。今日は、サウナと坐禅の話。難しい話ではなく、実用の話として聞いてください。

調身、調息、調心
坐禅の教えに、「調身・調息・調心」という言葉があります。まず姿勢を調え、次に呼吸を調える。すると心は、おのずから調う。心を直接コントロールしようとしても難しいから、体と息という「手の届くもの」から順に調えていく。この順番こそが、坐禅の知恵です。そして、気づいたのです。サウナで起きていることは、これと同じだと。ベンチに座り、調身。熱の中で呼吸が深くゆっくりになり、調息。気づけば頭が静かになっている、調心。サウナは、熱と蒸気の力を借りて、調身調息調心が半自動で進む装置なのです。(呼吸の話は、こちら。)
数をかぞえる、静かな入り方
坐禅の入門に、「数息観」という方法があります。自分の呼吸を、ひとつ、ふたつと十まで数え、また一に戻る。ただそれだけ。数に気持ちを預けることで、あちこちへ飛ぶ考えごとが、静かにおさまっていくのです。これが、サウナ室でとてもよく効きます。熱に包まれて、ゆっくりした息をただ数える。十まで行くころには、朝から頭を占めていた用事が、いつのまにか遠ざかっている。瞑想の作法を知らなくても、サウナの熱が、数息観をやさしく後押ししてくれます。数を忘れて、また一から数え直す。うまくできなくてもいい、その繰り返しごと味わうのが、この入り方のいいところです。
「今ここ」しかない部屋
禅が説く「今ここに在れ」は、頭では分かっても、実行が難しい教えです。過去の後悔と未来の不安に、心はすぐ飛んでいく。ところがサウナ室では、熱が、強制的に「今」を連れてきます。この熱さ、この汗、この呼吸。考えごとの続きをする余地が、そもそもない。マインドフルネスの練習として、これほど親切な環境はそうありません。難しい瞑想アプリより、まず一度、静かなサウナを。(時間が溶ける話は、こちら。)
盛岡は、禅の似合う街
ところで、盛岡は寺の街でもあります。北山には江戸期に整えられた寺町が続き、曹洞宗の報恩寺には、五百体近い羅漢像がずらりと並ぶお堂があります。江戸中期に十数年をかけて造られたこの羅漢さまたちの、静まりかえった堂内を知っている方なら、いいサウナの静けさとの共通点が、きっと分かるはずです。石割桜の街で、寺の鐘を遠くに聞きながらの外気浴。盛岡のサウナ暮らしには、はじめから禅の風情が備わっています。(静けさの話は、こちら。)
ただ座る、という贅沢
曹洞宗を開いた道元は、何かを得るためではなく、ただ座ることそのものを尊びました。「只管打坐」、ひたすらに座る。目的を手放して、座っている今に、まるごと身を置く。サウナも、よく似ています。効能を数えあげるのをやめて、ただ熱を受け、ただ汗をかき、ただ息をする。坐禅が自分の力で心を静める道なら、サウナは熱の力を借りる道。入口は違っても、たどり着く静けさは、よく似た顔をしています。何かを得ようと気張るほど、静けさは遠のく。手放したときにだけ訪れるという点でも、禅とサウナは、よく似ています。
毎晩の、小さな坐禅を
お寺の坐禅会に毎週通うのは、なかなかの決心が要ります。でも、家のサウナなら、毎晩が小さな坐禅会です。十五分、熱の中で呼吸とともに座る。それだけで、一日の心のざわめきが、店じまいをしていく。岩手・盛岡のD'STYLEは、ハルビア岩手県正規代理店として、あなたの家の禅堂づくりをお手伝いしています。おすすめの一台のご相談、いつでもどうぞ。喝、の代わりにロウリュを。
写真: kallerna (Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0)



