星空外気浴の話は、以前書きました。今日はその姉妹編、月の話です。星は新月の闇夜がいちばんですが、月には月の夜がある。特に、雪の積もった満月の晩。あれを一度体験すると、カレンダーの月齢欄を見る習慣がつきます。今日は、月見外気浴のすすめです。

満月の雪原は、照明いらず
満月の夜、雪の積もった庭は、驚くほど明るくなります。月の光を、一面の雪が反射して、あたり全体がほの白く光る。電気を消しても、庭の輪郭がぜんぶ見える。新聞が読めそうなほどの晩さえあります。この青白い光の中での外気浴は、星の夜とはまるで違う趣です。火照った体から立つ湯気が月光に透けて、自分の影が雪の上にうっすら伸びる。静かで、明るくて、少しだけ非現実的。しんと張りつめた冷気の中では、遠くの犬の声や、木の枝から落ちる雪の音までが、はっきりと届きます。雪国の冬にだけ配られる、特別な夜です。
月光浴という、古い言葉
日本語には「月光浴」という言葉があります。日光浴の月版。科学的な効能はさておき、月の光を浴びるという発想そのものが、なんとも優雅です。昔の人は、月を眺めるためだけに宴を開きました。私たちは、月見の文化を受け継ぐ民です。サウナ上がりの外気浴は、その現代版として、これ以上ない月見の席になります。何しろ、体はぽかぽかで、頭は静かで、時間はたっぷりある。月を味わうための条件が、全部そろっています。急がず、ただ見上げる。それだけで満たされる遊びを、私たちの先祖は千年以上前から知っていました。
十五夜と十三夜、二つの名月
月見といえば、旧暦八月十五日の「十五夜」。里芋を供えることから「芋名月」とも呼ばれます。そしてもうひとつ、旧暦九月十三日の「十三夜」があります。こちらは栗や豆を供えて「栗名月」「豆名月」。十五夜が中国から伝わったのに対し、十三夜は日本で生まれた独自の月見だと言われます。昔の人は、片方だけ見るのを「片見月」と呼んで縁起を担ぎ、両方をそろえて愛でました。満ちきる前の少し欠けた月を美しいとする感覚は、いかにも日本らしい味わいです。
月の呼び名を、覚える楽しみ
日本人は、月の満ち欠けに、驚くほど豊かな名前をつけてきました。満月は「望月」。そのあと、出るのを立って待つ十七夜の「立待月」、座って待つ十八夜の「居待月」、寝て待つ「寝待月」、夜更けにようやく昇る「更待月」。月の出が毎晩少しずつ遅くなる様子を、待つ人の姿でそのまま名前にしたのです。平安の藤原道長が「この世をば我が世とぞ思ふ望月の」と詠んだ望月も、この満月のこと。名前を覚えると、外気浴の空が、物語のページになります。毎晩少しずつ痩せていく月を見送り、また新月から育っていくのを待つ。月と暮らすと、ひと月が、ゆるやかな物語として流れていきます。
月齢と、外気浴の時間割
月と付き合いはじめると、外気浴に時間割ができます。新月の前後は、星の週。月明かりがないぶん、天の川と星団の夜です。満月の前後は、月の週。特に月の出の直後、東の空に大きく昇るオレンジ色の月は必見です。中秋の名月の夜は、外気浴の椅子の横に、お茶と月見団子を。冬は月が高く昇り、空気が澄んで、一年でいちばん月がきれいな季節。冷えすぎる前にサウナへ戻る鉄則さえ守れば、寒い夜こそ、月見の特等席です。(冬の外気浴の装備は、星空の記事と同じ心づもりで。)
月を口実に、ととのう
「今夜は満月だから、サウナにするか」。この口実が使えるのは、庭にサウナのある人だけです。岩手・盛岡のD'STYLEは、ハルビア岩手県正規代理店として、月と星の見える暮らしの設置をお手伝いしています。次の満月の晩に間に合わせるのは難しくても、次の冬の満月には、間に合います。おすすめの一台と、月見の席を。
写真: Dietmar Rabich (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)



