外気浴の椅子の話(こちら)を突き詰めていくと、ある結論にたどり着きます。日本人は、とっくの昔に外気浴の名建築を発明していた、と。縁側です。今日は、縁側と外気浴の話。古い日本家屋は、実は「ととのう設計」だったのです。

縁側は、内と外の「間」である
縁側の本質は、家の中でも外でもない、中間領域であることです。屋根はあるが壁はなく、床はあるが室内ではない。この曖昧さこそが発明でした。雨の日も外の空気に触れられ、夏は深い軒が日差しを切り、冬は低い日差しが奥まで届く(冬の光の話)。風呂上がりの夕涼み、老人の日向ぼっこ、スイカに蚊取り線香。縁側でしてきたことを並べると、そのまま外気浴の教科書です。日本人は、サウナという言葉を知る何百年も前から、湯上がりに縁側で「ととのって」いました。
縁側は、縁を結ぶ場所でもあった
縁側は、人と人の「間」も取り持ちました。通りかかったご近所さんが、玄関を上がるほどではないけれど、縁側にちょっと腰かけて世間話をしていく。お茶を出し、漬物をつまみ、また立ち去る。玄関より気軽で、庭より親密な、絶妙な社交の場でした。「縁」の側と書いて縁側。人の縁が、ここで幾つも結ばれてきたのだと思うと、名前がいっそう味わい深く感じられます。内と外をつなぐこの板の間は、家と社会を、やわらかくつないでいたのです。
サウナと縁側は、最強の組み合わせ
だから、縁側のある家にサウナを入れると、動線が美しく完成します。サウナで汗を流し、数歩で縁側へ。腰掛けて、庭を眺めて、季節の風にあたる。雨の日も雪の日も、軒下の外気浴は続行できます。寝転べば全身の力が抜け、猫が隣に来る。縁側は、インフィニティチェアが登場する何世紀も前からあった、木製のととのいの席なのです。古民家へのサウナ設置(こちら)で、私たちが縁側を見るとにやりとするのは、このためです。
縁側がなくても、「間」はつくれる
現代の家に縁側がなくても、あきらめることはありません。ウッドデッキ、濡れ縁、軒下のベンチ、掃き出し窓の前の椅子。「屋根があって、壁がなくて、家と地続き」という縁側の文法さえ満たせば、そこは立派な外気浴の間になります。サウナ小屋の軒を少し深くして、小屋に縁側を持たせるのも、雪国では特に心地よい。濡れずに、寒すぎず、外の空気。縁側の知恵は、新しい小屋にも、ちゃんと移植できます。大切なのは、立派な造りより、外の空気とつながる小さな居場所があること。それさえあれば、湯上がりのひとときは、見違えるほど豊かになります。
世界にも、「間」の思想がある
内と外の中間をもうける工夫は、じつは世界じゅうにあります。アメリカの家のポーチ、地中海のテラス、ハワイのラナイ、南国のベランダ。どれも、家と外の境目にもう一段、空気を味わう場所を差し込んでいる。人は、完全な屋内でも完全な屋外でもない、その「あわい」で、いちばんくつろげるのでしょう。縁側は、その日本版の傑作です。ちがう気候、ちがう文化の人々が、それぞれに同じ場所へたどり着いた。人が心からくつろぐには、屋内と屋外のあいだの、ひと呼吸の余白が要るということなのでしょう。そこにフィンランド生まれのサウナが加われば、東西の「くつろぎの知恵」が、一つの庭で出会うことになります。
日本のととのいを、あなたの家に
フィンランドのサウナと、日本の縁側。北の知恵と東の知恵の組み合わせは、私たちの店のいちばん好きな設計です。岩手・盛岡のD'STYLEは、ハルビア岩手県正規代理店として、縁側文法の外気浴までご提案しています。夕涼みの記憶のある方、その記憶、サウナで蘇りますよ。ご相談、いつでもどうぞ。
写真: Joe Dyer from Buckhurst Hill, England (Wikimedia Commons, CC BY 2.0)



