ストーブの歴史を辿ると、面白いことに気づきます。人間は火を手に入れてから何万年も木を燃やしてきたのに、ほんの数十年だけ石油に浮気した。そしていま、また木に戻ろうとしている。ペレットストーブという暖房器具は、その「戻る」動きのなかで生まれました。
暖炉からストーブへ
ヨーロッパの暖炉は、中世の城から始まります。壁に穴を開けて煙を外に出す、単純な構造でした。暖炉は美しいけれど、部屋の一方しか暖められない。熱の大半は煙突から外へ逃げてしまう。
16〜17世紀にかけて鋳鉄のストーブが登場します。部屋の真ん中に据えて、四方に熱を放てるようになった。1741年のフランクリンストーブあたりからは、排気の熱まで使い切ろうとする工夫が始まります。煙突を長く引き回し、排熱を壁の中で循環させる設計です。
この時代の燃料は、すべて木でした。森は無限に見えていたし、木以外に選択肢がなかった。
石油の半世紀
産業革命で石炭が台頭し、20世紀に入ると石油が暖房を席巻します。灯油ボイラー、セントラルヒーティング、電気暖房。木を割る手間も、煙突の心配もいらない。便利の一言でした。
ところが1973年、第一次オイルショック。原油価格は一夜にして4倍に跳ね上がりました。石油に頼り切った暮らしが、いかに脆いものか。アメリカも、ヨーロッパも、日本も、同時に思い知らされた瞬間です。
岩手も例外ではありませんでした。灯油の値段が上がれば、冬の暖房費が直接響く地域です。あの頃の混乱を、うちの先代は覚えていました。
ペレットストーブの誕生
オイルショック後のアメリカで、製材所のおがくずや端材を圧縮して燃料にする研究が始まります。木を粒にしてしまえば、自動で供給できる。ボタンひとつで着火できる。薪ストーブの暖かさと、石油ストーブの手軽さを両立できるかもしれない。
1980年代にアメリカで最初のペレットストーブが商品化されました。初期のものは大きくて操作も面倒でしたが、技術は着実に進みます。自動点火システム、プログラム可能な温度調節、煙を抑える燃焼技術。一つひとつの改良が、やがて今のペレットストーブの形になっていきます。
木質ペレットという小さな発明
ペレットストーブを語るなら、燃料のことを避けて通れません。
木質ペレットは、間伐材や製材の端材を乾燥させ、粉砕し、高圧で小さな円柱に押し固めたものです。直径6〜8mm、長さは10〜30mm程度。木に含まれるリグニンという天然成分が、圧縮時の熱で溶けて接着剤の役割を果たすので、接着剤や化学薬品は一切入っていません。
一粒ずつが均一な形と密度を持っているからこそ、機械で安定供給ができる。燃焼効率が高く、灰も少ない。この「均一さ」が、薪との決定的な違いです。薪は一本ごとに太さも含水率も違いますが、ペレットは工業製品としての安定性を持っている。だから自動化ができた。
北欧での普及、日本でのこれから
ヨーロッパ、とくに北欧では、政府の補助金と税制優遇を追い風にペレットストーブが急速に広がりました。燃やしたときに出るCO2は、木が生育中に吸収した分と同じ。化石燃料のように地中から新たな炭素を掘り出すわけではない。「カーボンニュートラルな暖房」として、国が本気で後押ししています。
日本での普及は、正直なところ、まだこれからです。住宅事情、初期費用、そしてペレットストーブという選択肢を知らない方がまだ多い。うちのショールームに来る方も「こんなものがあったんですか」とおっしゃることが少なくありません。
ただ、岩手は森林面積が本州で最も広い県です。間伐材の有効活用、地域のペレット工場、そしてペレットストーブ。地産地消の暖房として、この土地ほど合う場所はないと思っています。
石油から、もう一度、木へ
何万年も木を燃やしてきた人間が、たった数十年だけ石油に頼り、また木に戻ろうとしている。ペレットストーブはその流れのなかにあります。
昔の焚き火や暖炉に戻るわけではありません。木を粒にし、自動で送り、電子制御で最適な温度を保つ。技術の力で、木を現代の暖房にし直す試みです。シモタニやトヨトミといった国産メーカーが、日本の住宅に合ったペレットストーブを作り続けているのも、その流れのひとつです。
私はストーブ屋ですから、暖房の歴史がどうのとは普段あまり考えません。でも、岩手の山を見るたびに思います。この山の木が燃料になって、この土地の家を暖める。当たり前のようで、石油の時代にはなかったことです。ペレットストーブが取り戻したのは、そういう「当たり前」なのかもしれません。



