フィンランドの空港の土産物屋には、日本人が二度見する棚があります。真っ黒な飴、黒い石けん、黒いシャンプー。ラベルにはTERVA(テルヴァ)の文字。正体は、松の木からとれるタールです。木タールと聞くと工業製品のようですが、フィンランド人にとってテルヴァは、森と煙とサウナの記憶をまとめて呼び起こす、国民的な香りです。今日は、この黒い蜜の文化史を深掘りします。
帆船の時代、タールは国を支えた
テルヴァの歴史は、香りではなく産業から始まります。17〜19世紀、木造帆船の時代。船体とロープを水と腐りから守る防水剤として、松のタールはヨーロッパ中で引っ張りだこでした。その最大の産地がフィンランド。内陸の森で松材を炭焼きのように蒸し焼きにしてタールを採り、樽に詰め、川を下って港町オウルへ運ぶ。タール樽を積んだ川舟の水運は、この国の一大産業でした。「教会とサウナとタール窯」が村の三点セットと言われた時代です。鉄の船の時代が来て産業としては幕を下ろしますが、香りは暮らしに残りました。燻したような、甘いような、森の奥のような、あの複雑な香りです。
「サウナの香水」になったタール
現代のフィンランドで、テルヴァはサウナの香りの定番です。使い方は簡単で、タールの香りのロウリュ用エッセンスを数滴、桶の水に垂らして石に打つ。立ちのぼる蒸気が、一瞬でスモークサウナ(こちら)の記憶を呼び起こします。電気サウナの家庭でも、香りだけは薪と煙の時代に戻れるわけです。フィンランドには「酒とタールとサウナで治らなければ、その病は死病である」という古いことわざがあるほどで、タールは民間の万能薬でもありました。今も薬局にタール石けんやタールシャンプーが並び、頭皮や肌のケアに使われ続けています。サルミアッキと並ぶ黒い飴、テルヴァ飴は、フィンランドの子どものおやつの定番です。
白樺と松、香りの使い分け
サウナの香りには、もうひとつの主役がいます。白樺です。初夏の若葉で作るヴィヒタ(こちら)の、青くみずみずしい香り。テルヴァの燻香が「秋冬の香り」なら、白樺は「初夏の香り」。フィンランドの家庭は、この二つを季節や気分で使い分けます。日本のヒノキやヒバ(青森ヒバの話)の香りが好きな方は、間違いなくテルヴァも気に入るはずです。針葉樹の樹脂の香りという意味で、根が同じだからです。ロウリュ水に垂らすものは、必ずサウナ用に作られたエッセンスを。精油の原液を石に直接かけるのは、香りが焦げて台無しになるうえ、引火の危険もあるので避けてください。桶の水に数滴、が世界共通の作法です。
香りは、記憶の近道
香りの記憶は、理屈より深いところに残ります。フィンランド帰りの方がテルヴァの蒸気をかぐと、一瞬でヘルシンキの公衆サウナ(こちら)に戻る。子どものころ薪風呂だった方が燻香をかぐと、実家の風呂場に戻る。自宅サウナに香りの引き出しをいくつか持っておくと、同じ部屋が何通りもの場所になります。今夜は森、明日は煙、週末は柑橘。香り一滴の旅です。
香りの相談も、店の楽しみです
岩手・盛岡のD'STYLEでは、ハルビアのサウナヒーターとあわせて、ロウリュの香りの楽しみ方もご案内しています。テルヴァ派か、白樺派か。あなたの香りを探しに、店へどうぞ。
写真: Chris Hunkeler from Carlsbad, California, USA (Wikimedia Commons, CC BY-SA 2.0)



