東北には、他の地方にはあまり残っていない、独特の温泉文化があります。湯治(とうじ)。温泉に「入りに行く」のではなく、「住みに行く」文化です。今日は、この土地の湯の知恵の話。そして、その知恵の現代版としての、家の蒸気の話です。

温泉に、住むという発想
湯治とは、温泉宿に一週間、二週間と長期滞在して、体を治し整えること。農閑期の東北の農家にとって、冬の湯治は一年の労働をリセットする、大切な保養でした。自炊部と呼ばれる湯治棟で、米と味噌を持ち込み、自分で煮炊きしながら、日に何度も湯に浸かる。花巻南温泉峡、夏油、国見、須川。岩手の山あいの名湯には、いまも湯治の記憶と設備が残っています。一回の入浴で効かせるのではなく、繰り返しと日数で、ゆっくり体を作り替える。「湯治は七日一回り」と言われた、時間をかける知恵です。
宮沢賢治も通った、自炊の湯
岩手の湯治場には、名前の残る常連もいました。花巻の大沢温泉の自炊部は、宮沢賢治が学生のころから幾度も通い、詩や手紙にその名を残した宿として知られます。すぐ近くの鉛温泉には、立ったまま深く浸かる白猿の湯。標高千メートルを超す須川高原温泉では、湯治客が湯の花を土産に持ち帰りました。米と鍋を担いで湯に籠もり、読み、書き、養生する。湯治場は、単なる湯屋ではなく、体と心を同時に休める、東北の隠れた学び舎のような場所でもあったのです。
湯治の本質は、繰り返しにある
現代の温泉旅行は一泊二日ですが、湯治の知恵の核心は、単純です。いい入浴は、続けてこそ効く。一度の贅沢な湯より、毎日の適度な湯。この考え方、どこかで聞いたことがありませんか。そう、サウナとまったく同じです。フィンランドの人たちが週に何度もサウナに入り続けるのも、研究が「習慣として続ける人」の健康を報告しているのも、東北の湯治と同じ、繰り返しの思想です。北の民は、洋の東西を問わず、同じ答えにたどり着いていたのです。(続ける効果の話は、こちら。)
三日目の湯あたりと、慣らしの知恵
湯治には、体を守る作法もありました。着いた初日から張り切って何度も入ると、三日目あたりで体がだるくなることがある。これは「湯あたり」と呼ばれ、強い湯に体が慣れていく途中で起きる反応です。だから昔の湯治客は、初めはひかえめに、日を追って回数を増やし、湯とゆっくり折り合いをつけていきました。慣らしながら、続ける。この呼吸は、サウナで無理をせず、自分の体と相談しながら回数を重ねていく作法と、そっくりです。急がず、体の声を聞く。湯治が今に伝える知恵は、その一点に尽きます。無理をして一日に何度も入るより、心地よい範囲でこつこつ続けるほうが、体は確かに応えてくれる。この慎ましさが、東北の湯の民が長い時間をかけてたどり着いた、養生の芯なのです。
家の蒸気は、毎日の小さな湯治
とはいえ、現代人に二週間の湯治は、なかなか叶いません。そこで、発想を裏返します。湯治に行けないなら、湯治を家に持ってくる。毎晩のサウナは、いわば一日一回りの小さな湯治です。温めて、休んで、よく眠る。これを毎日繰り返せる家は、湯治宿を一軒、抱えているようなもの。そして年に一度は、昔ながらの湯治場へ、岩手の名湯を訪ねる。家の蒸気と、山の湯。この二段構えが、東北の湯の民の、現代の完成形だと思います。(銭湯への讃歌はこちら、お風呂とサウナはこちら。)
湯の国の知恵を、家に
岩手・盛岡のD'STYLEは、ハルビア岩手県正規代理店として、毎日の小さな湯治場づくりをお手伝いしています。湯治の先人たちに恥じない、続けられる一台を。ご相談、いつでもどうぞ。
写真: Benlisquare (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)



