日本のサウナの歴史をたどると(60年史はこちら)、必ず行き着く土台があります。銭湯です。番台、富士山のペンキ絵、黄色いケロリンの桶、湯上がりの腰に手の牛乳。今日は、減りゆく銭湯への、私たちなりの讃歌です。家にサウナを売る店が銭湯を語るのは変に思われるでしょうが、最後まで読めば、矛盾しないことが分かってもらえるはずです。
銭湯が教えてくれたこと
内風呂が当たり前になる前、日本人は湯を、町で共有していました。湯は、体を洗う場所であると同時に、社交場だったのです。ご近所の噂話、子どもの背中を流す大人、湯船の縁の世間話。「裸の付き合い」という言葉が生まれた場所。フィンランドのサウナが村の社交場だったのと、まったく同じ構図です。湯と蒸気のまわりに人が集まり、肩書きを脱いで話す。この文化の型を、日本人は銭湯で、何百年も練習してきました。日本でサウナがこれほど受け入れられた下地は、間違いなく銭湯がつくったものです。
あの意匠たちは、文化財です
銭湯の意匠には、天才的なものが多い。浴室の富士山のペンキ絵は、湯に浸かりながら旅気分を味わう、江戸っ子の発明。高い天井と湯気抜きの窓は、蒸気の抜けを計算した機能美。脱衣所の縁側と庭、体重計、マッサージ椅子。そして湯上がりの冷たい牛乳を、腰に手を当てて飲む作法まで含めて、あれはひとつの完成された文化です。全国の銭湯は年々減り続けていますが、サウナブームで若い世代が銭湯を再発見し、名物サウナのある銭湯に行列ができる時代にもなりました。文化は、使われることで残ります。
家サウナと銭湯は、敵ではない
家にサウナを持ったら、銭湯に行かなくなるか。実際は逆です。家で毎日ととのう人ほど、たまの銭湯・温泉の「広い湯船」「よその湯の味」を、深く味わえるようになります。ふだんは家の蒸気、ときどき町の湯。母校を訪ねるような気持ちで、のれんをくぐる。湯の文化はぜんぶ地続きで、敵も味方もありません。私たちの願いはただ、湯と蒸気を愛する人が増えることです。(お風呂とサウナの話は、こちら。)
湯の文化の、末席で
岩手・盛岡のD'STYLEは、銭湯が教えてくれた「湯は人を集める」という真理を、家庭のサウナで受け継いでいるつもりです。家の蒸気と、町の湯。両方を愛する暮らし、始めませんか。ご相談、いつでもどうぞ。湯上がりの牛乳は、腰に手を当てて。



