世界のサウナの歴史は、以前の記事で旅をしました。今日はその日本編です。フィンランドの蒸気が、どうやって海を渡り、この国に根を下ろしたのか。定説をたどると、その物語は、意外なところから始まります。オリンピックです。

1964年、選手村の蒸気
日本にサウナが広く知られるきっかけは、1964年の東京オリンピックだったと言われています。フィンランドの選手団が、選手村に自前のサウナを持ち込み、競技の合間に汗を流した。この「北欧の強豪選手たちが使う謎の蒸し風呂」が新聞や口コミで話題を呼び、東京にサウナ付きの施設が次々と生まれはじめます。ちょうど高度成長のただ中、西洋の新しい生活文化への憧れとも重なって、サウナは一気に広まっていきました。選手が持ち込んだ小さな一台が、日本のサウナ六十年史の号砲になったのです。ひとつの大会が、ひとつの国の入浴文化を書き換えたのですから、面白いものです。
実は、千年前からの蒸し風呂
もっとも、日本人と蒸気の付き合いは、実はもっと古いのです。奈良時代の寺院に伝わる施浴、鎌倉の寺の蒸し風呂、江戸の湯屋の戸棚風呂。そして東北には、焼けた石に水をかけて蒸気を立てる石風呂の民俗や、秋田・玉川の湯けむりに代表される、熱と蒸気で体をいたわる土地の記憶が、脈々とありました。「蒸気で汗をかいて体を清める」文化の下地は、この国に千年以上も前からあったのです。だからサウナは、まったくの外来品というより、忘れかけていた記憶との、うれしい再会でもありました。雪深く、湯と蒸気で体を芯から温める知恵を積み重ねてきた東北は、フィンランドの気候ともよく似ています。北の暮らしと蒸気は、もともと相性がよかったのです。令和のサウナ文化が東北の地に自然になじんでいくのも、うなずける話です。
昭和のサウナ、平成の健康ランド
高度成長期、都市部には「サウナビル」が林立します。働く男たちが、終電を逃した夜と疲れを預ける場所。カプセルホテルと結びつき、サウナは「おじさんの社交場」として定着しました。平成に入ると、健康ランドとスーパー銭湯の時代です。家族で行ける大型浴場の隅に、サウナ室と水風呂が標準装備になった。この時代に、日本人の大多数が「サウナに入ったことがある」国民になります。ただし、ロウリュも外気浴も知らないまま、ただ熱さを我慢する部屋として、でした。テレビの砂時計をにらんで、何分入れたかを競う。せっかくのサウナも、宝はまだ半分しか開けられていなかったのです。
令和、ととのいの時代
そして令和。『サ道』とブームの話に書いたとおり、日本のサウナはようやく、本場の楽しみ方と合流しました。ロウリュ、外気浴、無理をしない入り方。個室サウナ、テントサウナ、そして家庭用サウナへ。六十年かけて、サウナは「施設で我慢するもの」から「暮らしで楽しむもの」へと、たどり着いたのです。面白いことに、これはフィンランドでは最初から当たり前だった形。日本のサウナ史は、長い遠回りをして、本場の原点へ戻っていく物語でした。そして遠回りの途中で日本が磨いた「ととのう」という言葉と、冷たい水風呂の文化は、いまや逆に、世界へ輸出されつつあります。
次の章は、家庭のサウナ
六十年史の次の章は、まちがいなく家庭用サウナです。岩手・盛岡のD'STYLEは、ハルビア岩手県正規代理店として、その新しい章の書き手を応援しています。あなたの家のサウナが、この長い歴史の、いちばん新しいページです。おすすめの一台のご相談、いつでもどうぞ。
写真: Koda6029 (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)



