この読み物が、四百話目を迎えました。ロウリュの湯気の話から、薪の乾かし方、灰の捨て方、なまはげの蓑の雪、いぶりがっこの煙まで。よくもまあ書いたものだと、書いている私たちが少し驚いています。今日は節目のごあいさつとして、この読み物がなぜあるのかを、あらためて書かせてください。長い前置きに、しばしお付き合いください。

売り込みではなく、招待状として
この読み物は、広告のつもりで書いていません。書いているのは、火のある暮らしへの招待状です。サウナヒーターや薪ストーブは、買って終わりの家電と違って、買ってからが本番の道具です。石の積み方で蒸気が変わり、空気の絞り方で炎が変わり、季節で入り方が変わる。その奥行きを知らずに買うのと、知って選ぶのとでは、その後の十年の楽しさがまるで違う。だから私たちは、売り場に並べる前に、まず話を並べることにしました。読んで、火が好きになって、それから店に来てもらえたら、これほどうれしい商売はありません。急いで売れば一台きり、じっくり語り合えれば一生の趣味になる。私たちは、迷わず後者の商いを選びました。話を出し惜しみしないことが、いちばんの宣伝だと信じています。遠回りに見えて、これがいちばん誠実な道だと思っています。
北東北の火の話を、残したい
もうひとつの理由は、この土地です。岩手、秋田、青森。北東北は、囲炉裏と炭とかまどの記憶がまだ身近にあって、雪と寒さが火の価値を毎年教えてくれる土地です。秋田のいぶりがっこは、雪で大根を天日に干せない家が、囲炉裏の上に吊るして煙で乾かした知恵から生まれました。横手のかまくらは雪の中に火と水神を祀り、盛岡や奥州の南部鉄器は砂鉄と炭が育てた鉄です。曲げわっぱも、いぶりがっこも、南部鉄器も、たどれば火の道具と火の食文化。フィンランドのサウナがこの土地の暮らしとよくなじむのは、偶然ではないと私たちは思っています。火と蒸気を軸に北東北を読み直す話は、これからも書き続けます。曲げわっぱに白いご飯を詰めるとき、私たちは無意識に、遠い日の火の恵みを受け取っています。
火を囲むと、人は話しはじめる
不思議なもので、人は火の前だと口が軽くなります。囲炉裏端で祖父母の昔話を聞いた記憶がある方も、多いはずです。ゆらぐ炎とはぜる音は、こちらを急かさず、黙っていても気まずくならない。この読み物も、そんな火のそばの語りのつもりで綴ってきました。四百話ぶんの雑談を、湯気と炎越しにあなたへ手渡している。そう思うと、一話ずつが少し愛おしくなります。読み物は、いわば紙の上の囲炉裏です。囲炉裏が姿を消した家でも、薪ストーブの炎やサウナの熱が、人を集めて語らせる役目を、そっと引き継いでいます。テレビを消して炎を見つめる夜は、時間の流れ方まで変わります。子どもがふと本音をこぼすのも、たいていこういう晩です。
次の百話も、お付き合いください
読み物は五百話を目指して、まだまだ続きます。書いてほしい話題があれば、店で気軽に聞かせてください。「薪の虫の話が助かった」「田沢湖の話で旅に出た」。そんな一言が、次の一話の燃料です。五百話のころ、この土地の火の話にもう少し厚みが増していたら、それが私たちのいちばんのご褒美です。
盛岡の店で、お会いしましょう
岩手・盛岡のD'STYLEは、ハルビアのサウナヒーター、薪ストーブ、ペレットストーブ、そしてサウナ小屋KUUTAの店です。四百話ぶんの話の続きは、店の火の前でどうぞ。遠くても、雪の日でも、火はいつでも同じ温かさであなたを迎えます。おすすめの一台と、熱いお茶を用意して待っています。
写真: Xepheid (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)



