「はじめちょろちょろ、なかぱっぱ、赤子泣いても蓋取るな」。かまど炊きの口伝は、誰もが一度は聞いたことがあるはずです。今日は、この呪文の正体と、火でごはんを炊く話。炊飯器の白飯がまずいわけではありません。ただ、火で炊いた飯には、まねのできない別の顔があります。

口伝は、火加減のプログラムだった
あの呪文を訳すと、こうなります。はじめちょろちょろ=弱火で米に水を吸わせながら、ゆっくり温度を上げる。なかぱっぱ=強火で一気に沸騰させ、対流で米を躍らせる。赤子泣いても蓋取るな=沸騰後は弱火から余熱で蒸らし、蒸気を逃がさない。米のでんぷんが甘みに変わる温度帯をゆっくり通過させ、次に激しい対流で炊きムラをなくし、最後に余熱で一粒ずつ立たせる。現代の炊飯器がマイコンで緻密に制御している工程を、電気もない時代の先人は、言葉のリズムに焼き込んで伝えていたわけです。口伝は、耳で覚える火加減のプログラムでした。
「蓋取るな」には、理由がある
いちばん誘惑に負けそうになるのが、この一節です。炊きあがりが気になって、つい蓋を開けたくなる。ですが、火を止めたあとの十分ほどの蒸らしの間に、鍋の中では大事な仕上げが進んでいます。余熱と残った蒸気が、粒の表面のべたつきを落ち着かせ、中心までふっくらと均一に火を通す。ここで蓋を開けると、蒸気が逃げて、芯の残った飯になりがちです。赤子が泣こうと蓋を取るな、というのは、この「待つ工程」の大切さを、思わず笑ってしまうほど忘れられない言葉に変えた、台所の知恵なのです。
天板炊飯は、失敗しにくい
鍋炊きは難しそうに聞こえますが、薪ストーブの天板は、実は炊飯向きです。理由は、火力の場所差。天板の熱い場所で沸騰させ、穏やかな端へ鍋を移せば、「なかぱっぱ」から「ちょろちょろ」への切り替えが、鍋の引っ越しだけでできる。厚手の鍋やダッチオーブンなら、蓄熱が蒸らしまで面倒を見てくれます。目安は、浸水した米を熱い場所で沸騰まで、湯気が細くなったら端へ寄せて十分少々、火から下ろして十分蒸らし。数回やれば、腕より鍋と天板が加減を覚えてくれます。(天板料理の基本は、こちら。)
岩手は、隠れた米どころ
火で炊くなら、米にもこだわりたい。じつは岩手は、実力ある米どころです。二〇一六年に全国デビューした「銀河のしずく」、県が長い年月をかけて育てた最高級の「金色の風」、東北で広く作られる「ひとめぼれ」。冷めても甘みの落ちにくい品種が多いのは、昼夜の寒暖差が大きい土地の恵みです。標高のある内陸で、澄んだ水と冷涼な気候に磨かれた米は、粒の輪郭がくっきりと立ち、噛むほどに甘みがにじみます。銘柄ごとの個性を火で炊いて味わい分けるのも、この土地ならではの一興です。冷めてうまい米は、火で炊いた飯を、おにぎりや弁当まで気持ちよく延ばしてくれる。産地の米を、産地の火で、鉄の鍋で炊く。これは、この土地に暮らす者の、ささやかで贅沢な特権です。
おこげは、火で炊いた者の勲章
そして、鍋炊きのごほうびが、おこげです。鍋底の、きつね色の香ばしい一枚。炊飯器がきれいに消してしまったあの香りは、火で炊いた者だけの勲章です。火で炊いた米に、天板の味噌汁と凍み豆腐の煮物(こちら)を添える。サ飯としても、これ以上落ち着く和定食はありません。残ったおこげは、少しだけ湯を注いで、締めのおこげ湯に。香ばしい湯気が、火のある夜の最後を静かに閉じてくれます。
米どころの火の店から
岩手・盛岡のD'STYLEは、飯のうまい火の暮らしをお手伝いしています。炊飯向きの鍋の相談も、店でどうぞ。はじめちょろちょろ、今夜から唱えてみませんか。




