「寒さは資源だ」と、この読み物では繰り返してきました。外気浴に、蓄熱に、雪遊びに。でも、ご先祖たちは、もっと直球の使い方をしていました。寒さで、食べものを作ったのです。今日は、凍み豆腐と凍み大根。氷点下そのものを調理器具にした、北国の保存食の話です。

凍らせて、溶かして、乾かす
凍み豆腐(高野豆腐の仲間)の作り方は、寒さの活用そのものです。豆腐を薄く切って、氷点下の夜の軒下に吊るす。夜に凍り、昼のわずかな暖気で溶け、水分が抜けていく。この凍結と解凍を繰り返すうちに、豆腐はスポンジ状の乾物に変わります。凍み大根も同じ理屈で、茹でた大根を寒風に吊るし、あめ色の乾物へ。冷凍庫も乾燥機も使わない、天然のフリーズドライです。真冬日が続く土地でなければ作れない食品、つまり、岩手の寒さの正当な特産品です。軒下にすだれのように吊るされた凍み豆腐は、北国の冬の名風景でもあります。
凍み食品は、昇華という魔法
凍み豆腐が乾いていく仕組みは、化学でいう昇華です。氷点下の乾いた空気の中では、凍った水分が、溶けて水になる段階を飛ばして、直接、水蒸気になって抜けていく。この「氷が液体を経ずに気化する」現象が昇華で、真冬日の続く岩手の空気は、その昇華をゆっくり進める天然の乾燥室になります。現代のインスタント味噌汁やフリーズドライのコーヒー、宇宙食までが、まさにこの原理の工業版。軒下の凍み豆腐は、最先端の食品加工の、何百年も前からの先輩なのです。
寒さは、味も作る
寒さが作るのは、乾物だけではありません。冬の畑の寒締めほうれん草や寒締め菜っ葉は、凍らないように糖分を蓄えるため、驚くほど甘くなります。雪の下で越冬させた雪下キャベツや雪中にんじんも同じ理屈。りんごの蜜も、寒暖差の恵みです。植物が寒さと戦った分だけ、甘みが増す。冷害と戦ってきた土地(やませの話)の先人たちは、その同じ寒さから、甘さと保存性を引き出す技を磨いていたわけです。見事な逆転の発想だと思います。同じ寒さでも、雪の下でじっくり越冬させた野菜ほど甘みが深くなるのは、凍らないよう糖という天然の不凍液を細胞にたくわえて身を守るからです。厳しさに耐えた分だけ、ごほうびの甘さが増す。人の保存の知恵と、植物の生きる知恵が、寒さの中で仲よく手を結んでいるのが、北国の冬の食卓なのです。
凍み豆腐の煮物と、火のそばの冬
凍み豆腐の煮物は、だしをたっぷり吸って、じゅわりと旨い冬の味。天板でことこと煮含める料理として、薪ストーブとの相性は言うまでもありません(天板料理の話)。凍み大根の煮しめ、凍み餅の雑煮。寒さが作った食材を、火がごちそうに変える。この往復が、北国の台所の完成形です。サ飯としても、乾物の煮物は塩分と水分としみじみした旨さで、優秀な一椀です。
凍み餅は、山の非常食だった
凍み豆腐や凍み大根と並ぶのが、凍み餅です。搗いた餅を薄く切って寒晒しにし、凍らせては乾かした保存食で、水で戻して焼けば、雪深い季節の貴重な一食になりました。軽くて日持ちし、火さえあれば食べられる。厳しい冬を越すための、山の暮らしの知恵の結晶です。凍み豆腐、凍み大根、凍み餅。頭に「凍み」がつく食べ物がいくつも並ぶのは、寒さを敵ではなく味方につけてきた、この土地の食の履歴書のようなものだと思います。
寒さの使い手たちの、末席で
凍み豆腐の先人たちに比べれば、外気浴で寒さを楽しむ私たちは、まだまだ初心者です。岩手・盛岡のD'STYLEは、寒さを資源に変える暮らしの道具屋として、今日も営業しています。軒下に凍み大根、庭にサウナ。寒さの使い手の家、増やしていきましょう。
写真: Christophe Badoux (Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0)



