レコードと火の夜(こちら)の姉妹編です。今日は、ラジオ。テレビほど強くなく、無音ほど寂しくない、声だけのメディア。薪ストーブの夜との相性は、昔から折り紙つきです。

画面がないから、火が主役でいられる
テレビと薪ストーブは、部屋の主役の座を奪い合います。画面がつくと、視線は画面へ、炎は背景へ。ラジオには、この奪い合いがありません。耳は放送を聞き、目は炎を見る。二つの感覚が喧嘩せず、むしろ声と火明かりが、ひとつの夜に溶け合います。手もふさがらないから、薪をくべ、繕いものをし、湯を沸かしながら、耳だけを番組に預けられる。ラジオを聞きながら火の番をして、手仕事をして、うたた寝する。昭和の茶の間の夜は、だいたいこの形でした。あの過ごし方は、古いのではなく、完成されていたのだと思います。(手仕事の夜は、こちら。)
声は、孤独にいちばん効く
ラジオの本領は、ひとりの夜です。深夜、家族が寝静まった火のそばで、小さな音量のラジオ。パーソナリティの声は、テレビの喧騒と違って、自分ひとりに話しかけてくる親密さがあります。ときおり読まれる、どこかの誰かの便り。同じ番組を、同じ時間に、顔も知らない誰かと聞いている。その気配が、ひとりの夜をやわらかくします。単身赴任の夜(こちら)、眠れない夜、ひとりサウナのあとの夜(こちら)。声だけの相棒は、孤独をほどよく薄めてくれます。番組の終わりに小さく流れるテーマ曲を聞くと、今日ももう遅いなと、素直に眠くなってきます。深夜放送と熾火は、夜更かしの名コンビです。
音だけが、遠くを連れてくる
ラジオのもうひとつの楽しみは、想像の余白です。画面がないぶん、声や音楽から、聞き手が勝手に景色を描く。天気予報で読み上げられる遠い港や岬の名前、初めて出会う曲、深夜にだけ流れる静かな語り。周波数を少し合わせ直すと、隣県の放送や、夜だけ遠くから届く電波が混じることもあります。火のはぜる音、ヤカンの湯気、そこに重なる知らない街の声。目を閉じれば、狭い部屋が、夜の日本のあちこちとつながっていきます。
つけっぱなしが、ちょうどいい
ラジオの良さは、真剣に聞かなくてもいいところにもあります。小さな音で流しておいて、面白い話が来たら耳を傾け、興味のない話題は聞き流す。この「ながら」の許される感じが、火のそばの時間によく合います。炎をぼんやり眺め、薪の爆ぜる音を聞き、その隙間を誰かの声が埋めていく。集中を強いないメディアは、長い夜の伴走者になれます。天気も、交通も、季節の便りも、暮らしのそばをゆっくり流れていきます。
防災の実用も、忘れずに
そして、ラジオには実用の顔があります。停電の夜、テレビもネットも沈黙したとき、電池のラジオだけが情報を運び続けます。スマホの電池を温存したい局面でも、耳だけで最新の状況を追える。薪ストーブが熱と灯りを、ラジオが情報を。この組み合わせは、災害の夜の基本装備です(停電の話)。手回し充電ラジオを一台、火の道具の棚に。乾電池の予備もひと箱そえて。ふだんは夜の相棒、いざの日は命綱です。実際、東北の冬に暮らしていると、備えのありがたみは身に染みます。薪と灯りとラジオがそろっていれば、長い停電の夜も、どこかで落ち着いていられます。
声と火の夜を、どうぞ
金曜の夜、好きな番組と熾火と一杯。土曜の朝、ラジオ体操ならぬラジオと火起こし。岩手・盛岡のD'STYLEは、ラジオの似合う部屋づくりをお手伝いしています。ちなみに店の作業場にも、いつもラジオが鳴っています。ご相談、いつでもどうぞ。
写真: Vyacheslav Argenberg (Wikimedia Commons, CC BY 4.0)



