「家の真ん中に火がある暮らし」の歴史を、この読み物では囲炉裏まで遡ってきました(こちら)。今日は、その先へ。五千年前です。一戸町の御所野遺跡。世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産である、縄文の村の話です。

竪穴住居の真ん中には、炉がある
御所野遺跡には、縄文時代中期の集落が復元されています。特徴的なのは、土屋根の竪穴住居。そして、どの住居も、真ん中に炉を持っています。地面を浅く掘りくぼめ、柱を立て、屋根をかけた住まいの中心で、火は焚かれていました。炉のまわりには煮炊きの土器が並び、灰の底には木の実を焼いた跡も残ります。発掘された炉の跡は、この場所で約五千年前、火が毎日燃えていた動かぬ証拠です。暖房であり、調理場であり、灯りであり、家族の顔を照らす中心。囲炉裏の原型が、ここにあります。私たちが薪ストーブを囲む暮らしは、文字どおり五千年ものの系譜の、最新版なのです。
四道県をつなぐ、縄文の縦の道
御所野遺跡は、二〇二一年に世界文化遺産へ登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一員です。この遺跡群は、北海道・青森・岩手・秋田の四道県にまたがる十七の資産で構成され、御所野は岩手県で唯一の構成資産にあたります。青森の三内丸山遺跡、秋田・鹿角の大湯環状列石と、御所野は同じ物語のなかにいます。津軽海峡をまたぎ、奥羽の山々を越えて、北の縄文人は似た竪穴住居に住み、同じように炉を囲みました。米づくりが本格的に広まる前、一万年をこえる長さを、狩りと採集を主にこれだけの村で定住して暮らしたのが縄文人でした。県境のなかった時代の、北東北という大きな一つの文化圏。その真ん中に、いつも火がありました。
土屋根は、縄文の寒冷地仕様
御所野の復元住居が面白いのは、屋根です。発掘の焼失住居跡の調査から、茅葺きではなく土屋根だった可能性が示され、土をかぶせた屋根で復元されています。土屋根は、断熱の塊。夏は涼しく、冬は炉の熱を逃さない。北東北の長い冬を、縄文人は土の断熱と火の熱の合わせ技で越えていたわけです。寒冷地仕様の家づくり(こちら)の、最古の先輩と言っていい。五千年前から、この土地の家の設計思想は「断熱と火」だったのです。
燻された家の、五感
炉のある家に一日いると、体に匂いが染みます。屋根裏へ立ちのぼる煙が木材を燻し、柱を長持ちさせ、虫を遠ざける。天井からぶら下がるのは、乾かしかけの木の実や魚。土間に反射する火あかりが、日が落ちてからの唯一の照明でした。復元された竪穴住居に足を踏み入れると、ひんやりした土の匂いと、微かに残る煙の記憶が迎えてくれます。五千年前の一戸の夜は、炎のはぜる音と、家族の寝息だけの、静かな暗さだったはずです。火は、その暗さの中心で、人の輪をあたため、一日の疲れをやわらかくほどいていました。
縄文の火と、蒸気の記憶
縄文遺跡からは、石を焼いて調理に使った跡も見つかります。焼いた石に水、といえば、私たちの世界ではロウリュです(石の話)。世界の蒸気浴の起源は、焼け石に水をかけた経験にあるとも言われますから、縄文の炉端で、誰かが最初の蒸気を浴びていた。そう考えるのも、自然なことでしょう。御所野の炉の前に立つと、五千年をひとまたぎにする空想が、静かに、そして温かく広がります。
五千年目の火を、あなたの家に
岩手・盛岡のD'STYLEは、縄文から続く「家の真ん中の火」の、現代の担当者のつもりで働いています。御所野で五千年前の炉を見て、店で五千年目の炉を見る。そんな一日も、どうぞ。ご相談、いつでもお待ちしています。



