岩手の世界遺産といえば、御所野の縄文(こちら)と、もう一つ。平泉です。中尊寺金色堂、毛越寺の浄土庭園。二〇一一年に世界文化遺産に登録された、祈りの都。今日は、900年前の光がいまも残る町の話です。この読み物らしく、「光」を軸に歩きます。

金色堂は、極楽浄土の実物モデル
金色堂は、奥州藤原氏の初代・清衡が12世紀初頭に建てた阿弥陀堂です。内も外も金箔で覆われ、螺鈿と蒔絵と透かし彫りで飾り尽くされた堂内は、極楽浄土をこの世に再現する試みでした。戦乱で家族を失った清衡が、敵味方の区別なく死者を弔い、平和の仏国土を築こうとした祈りの建築です。堂内の光は、金箔が灯明のわずかな光を増幅する設計。電気のない時代、金は最強の「光の技術」でした。ゆらめく灯明に照らされた黄金の堂内を想像してください。900年前の人々にとって、あれはまさに、この世に現れた極楽だったはずです。
奥州藤原氏、百年の栄華
金色堂を生んだ奥州藤原氏は、清衡・基衡・秀衡・泰衡の四代、およそ百年にわたって平泉に華やかな文化を築きました。産出する黄金と、北方交易の富を背景に、その繁栄は都の京にも並ぶと言われたほど。三代・秀衡は、源義経を二度にわたってかくまった人物としても知られます。義経が身を寄せた北の都は、当時の日本で有数の国際都市でした。栄華は泰衡の代に源頼朝によって幕を閉じますが、その記憶は、金色に輝く堂として今も残っています。滅びてなお光る都。これほど詩的な史跡は、そう多くありません。
覆堂という、保存の知恵
金色堂が900年残った理由は、建立の約150年後に建てられた覆堂(おおいどう)、つまり「建物を守る建物」にあります。雪と風雨から黄金の堂を守るために、すっぽり覆う鞘堂を建てる。この過保護なほどの知恵が、東北の厳しい気候から国宝を守り抜きました。大事なものには屋根を掛ける。薪棚の屋根、サウナ小屋の軒(こちら)に通じる、雪国の保存哲学の最高峰です。芭蕉が「五月雨の降のこしてや光堂」と詠んだのも、この守られた光でした。
毛越寺に、浄土の庭が残る
光は建築だけではありません。少し離れた毛越寺には、平安時代の浄土庭園が、ほぼ当時のままの姿で残っています。大泉が池を中心に、州浜、遣水、立石を配した庭は、水面に空と緑を映して、この世に極楽の風景を描き出す試みでした。かつて壮麗な伽藍が並んだ境内は、今は礎石を残すのみですが、その静けさが、かえって庭の水鏡を引き立てます。曲水の宴の遣水も復元され、初夏には平安の雅が再現される。庭を歩けば、当時の人が極楽をどう思い描いたかが、足の裏から伝わってきます。金の堂と水の庭、二つの浄土が一つの町に並ぶのが、平泉の底力。派手さではなく、静けさで人を打つのが、この土地の遺産の品格です。
黄金の国ジパングの、源流
そして、有名な説をひとつ。マルコ・ポーロの「黄金の国ジパング」伝説の源流は、平泉の金色堂の噂だったのではないか、と言われることがあります。真偽はさておき、奥州が当時有数の金の産地で、平泉が京に並ぶ栄華を誇ったのは史実です。岩手は、かつて日本の黄金の国でした。石と水と森の話(こちらほか)に続く、この土地の底力の物語です。
光の遺産の国で、灯りを商う
900年前の光の技術の国で、私たちは現代の火と灯りを商っています。金色堂を訪ねた帰り、夕暮れの家に薪ストーブの灯りがともる。その連続性が、なんだか誇らしいのです。岩手・盛岡のD'STYLEへのご相談、いつでもどうぞ。
写真: Erkki Voutilainen (Wikimedia Commons, CC BY 4.0)



