火のつく日本語の話(こちら)の、岩手編です。この土地の方言には、寒さとあたたかさの語彙が、標準語より一段細かく生きています。今日は、その言葉たちの話。読み終わるころ、「ぬぐだまる」と言いたくなっているはずです。
「しばれる」は、寒いでは足りない
まず、寒さの側から。「しばれる」。北東北と北海道の冬の言葉で、単に寒いのではなく、空気が凍てついて肌を締めつけるような、あの厳寒を指します。「今朝はしばれるねえ」の一言には、氷点下十度の朝の、鼻の奥がツンと痛む感じまで含まれている。標準語の「寒い」が温度計の言葉なら、「しばれる」は体感の言葉です。岩洞湖の朝(こちら)は、しばれるの本場。この言葉があるから、この土地の人は厳寒を、細やかに語り合えるのです。
「ぬぐだまる」は、あたたまるの上位語
そして、本日の主役。「ぬぐだまる」。あたたまる、の岩手・東北の言い方ですが、ニュアンスが一段深い。外側からではなく、体の芯からじんわりあったかくなって、こわばりがほどけていく感じ。こたつで、風呂で、ストーブの前で、「あー、ぬぐだまった」。この言葉には、安心と充足の響きまで入っています。サウナから上がって、火の前で白湯をすする、あの状態。標準語で言えば「温まってリラックスした」ですが、岩手弁ならたった一言、「ぬぐだまった」で足りる。私たちの商売は、突き詰めれば「ぬぐだまる」を売る仕事だと思っています。
「こわい」に、疲れがにじむ
体感の言葉は、まだあります。岩手で「こわい」は、恐ろしいではなく、「疲れた」の意味。「今日は畑仕事でこわくてなあ」と使います。標準語の「疲れた」より、体の芯にずしりと来る、あの重い疲労感が、この一語にこもっている。ちなみに盛岡で驚いたときは「じゃじゃじゃ!」。びっくりの度合いが増すほど、じゃの数が増えていきます。体の感覚や心の動きに、これだけ専用の言葉があるのは、それだけ暮らしが、その感覚を大切にしてきた証拠なのです。厳しい寒さの中で体を寄せ合って生きてきた土地だからこそ、寒さと、あたたかさと、疲れと、驚きに、こんなにも豊かな言葉が育ちました。言葉の多さは、そのまま、感じることの豊かさなのだと思います。
もてなしは、語尾に宿る
あたたかいのは、言葉の中身だけではありません。語尾にも出ます。「飯(まま)食ってけ」「休んでってけ」「またおでんせ(またおいでください)」。この「〜してけ」「おでんせ」は、この土地のもてなしの語尾です。押しつけがましくなく、それでいて確かに、あなたを気にかけている。ぶっきらぼうに聞こえて、芯があたたかい。岩手の人の人柄が、そのまま言葉の形になったような響きです。店に来られた方にも、私たちはつい、この語尾で話しかけてしまいます。
言葉が消えると、感覚の解像度が下がる
方言は、その土地の暮らしが磨いた、感覚の解像度です。雪の言葉が多い土地、風の言葉が多い土地、そして岩手は、寒暖の体感語彙が豊かな土地。「しばれる」も「ぬぐだまる」も、標準語には一語で置き換えられません。言葉が使われなくなると、その細やかな感覚ごと、少しずつ薄れていきます。だから私たちは、店でもこの読み物でも、時々方言を混ぜていきたいのです。言葉を残すことは、感じ方を残すことでもあるのですから。
ぬぐだまってげ
岩手・盛岡のD'STYLEの店には、実機の火が入っています。しばれる日ほど、どうぞ寄ってください。お茶を出しますから、ぬぐだまってってください。薪ストーブとサウナの相談は、ぬぐだまってからで十分です。
写真: 不明 (Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0)



