フィンランドを旅した人が、いちばん驚く制度があります。自然享受権。フィンランド語でヨカミエヘンオイケウス(jokamiehenoikeus)、英語ではエブリマンズライトと呼ばれます。他人の土地であっても、歩き、走り、スキーで滑り、野のベリーやきのこを摘み、湖で泳いでいい。この途方もない自由が、サウナと外気浴の文化を根っこで支えています。今日は、北欧の自然観の話です。
「誰の土地でも歩いていい」という法
自然享受権は、フィンランドやスウェーデン、ノルウェーなど北欧に古くから根づく慣習で、現在は法にも位置づけられています。原則はおおらかで、他人の私有地でも、住居のすぐそばを避け、作物や自然を傷つけず、ゴミを残さなければ、自由に立ち入ってよい。森を抜けて湖畔に出て、そこで泳いでも、テントを一晩張っても、たき火は条件つきで許される。摘んでいいのは、野生のベリーやきのこ、花。この「自然は誰か一人のものではなく、皆で分かち合うもの」という考え方が、国民の体にしみこんでいます。
自由が、サウナと外気浴を育てた
この権利があるから、フィンランド人は当たり前のように森へ入り、湖へ飛び込みます。サウナで温まって、そのまま裏の湖へ。冬なら氷の穴、アヴァント(こちら)へ。外気浴という文化が、囲いのない自然の中で自然に育ったのは、この自由があったからです。自然と人のあいだに塀が少ない。だからサウナは、密室の設備ではなく、森と湖に開かれた体験になりました。フィンランドのサウナ観の背骨に、この権利があります(サ旅の話)。
ベリー摘みは、国民のセラピー
夏の終わりから秋、フィンランド人はかごを持って森へ向かいます。ブルーベリー、こけもも、クラウドベリー。誰の森でも摘んでいいのですから、森はみんなの果樹園です。黙々とベリーを摘む時間は、瞑想に近い静けさをもたらすと言われ、収穫した実は冬のジャムやジュースになる。森を歩き、しゃがみ、手を動かし、自然の恵みを持ち帰る。これ自体が、体と心を整える営みです。サウナのあとの静けさ(こちら)と、森歩きの静けさは、どこか地続きです。
岩手の森にも、恵みはある
日本には自然享受権のような制度はなく、山にも所有者がいますから、勝手な立ち入りや採取はできません。そこは北欧と事情が違います。それでも岩手には、入っていい里山、山菜採りの許された場所、管理された森林公園がたくさんあります(森林浴の話)。ルールを守って森を歩き、湧き水に手をひたし、季節の香りを胸に吸い込む。そして家に帰って、サウナで仕上げる。北欧の自由をそっくり真似はできなくても、森と火を行き来する暮らしの喜びは、岩手でも十分に味わえます。
自由には、静かな責任がある
自然享受権は「何をしてもいい」権利ではありません。フィンランドの人々がこの自由を何百年も保ってこられたのは、裏に静かな責任があるからです。自然を傷つけない、ゴミを残さない、他人の暮らしを邪魔しない、そして採っていいものといけないものを見分ける知恵を持つ。自由と責任がセットになって、はじめて森はみんなのものであり続けられます。たき火が条件つきで許されるのも、火を出さない作法とセットだからです(火の作法)。自由に甘えず、自然に敬意を払う。この姿勢は、薪や火とつきあう暮らしにもそっくり当てはまります。恵みをいただくかわりに、後始末をきちんとする。北欧の森の作法は、火のある暮らしの心得でもあります。
森と火の暮らしを、盛岡から
森を歩き、湖で冷やし、火で温まる。この循環は、人の体がいちばん喜ぶリズムのひとつです。岩手・盛岡のD'STYLEは、ハルビアのサウナヒーターで、その循環の「火と蒸気」の部分をお手伝いしています。森歩きの帰りに、火のある暮らしの話をしに、店へどうぞ。
写真: Ninara (Wikimedia Commons, CC BY 2.0)



