鉄瓶の話(こちら)、鋳物の話(こちら)と書いてきて、まだ案内していない場所がありました。作っている現場です。盛岡と奥州市水沢。南部鉄器の二大産地では、今日も工房で鉄が沸いています。今日は、工房見学のすすめです。
鋳込みは、火の仕事の頂点
南部鉄器づくりの山場は、鋳込み(いこみ)です。千数百度で溶かした鉄、職人が「湯」と呼ぶオレンジ色の液体を、柄杓で汲んで、砂の型に注ぐ。湯口から金色の火花が立ち、工房の空気が一瞬で熱くなる。薪ストーブの炉内が数百度ですから、その倍以上の火の世界です。汲んで、運んで、注ぐ、その動作に迷いはありません。一瞬の判断が仕上がりを決める、真剣勝負の現場です。この瞬間に立ち会うと、鉄瓶や鋳物ストーブへの敬意が、一段深くなります。あの黒く艶やかな肌は、火の中をくぐってきた肌なのだと、腑に落ちるのです。
盛岡と水沢、二つの系譜
南部鉄器には、育ちの違う二つの流れがあります。盛岡は、南部藩が茶の湯釜の職人を召し抱えた藩政期以来の系譜。御釜屋と呼ばれる名家が、藩の御用として茶釜や鉄瓶を鍛えてきました。一方の水沢は、平安後期に藤原清衡が近江から鋳物師を招いたことに始まると伝わる、九百年の歴史と量産の力を持つ土地。二つの産地が競い合い、伝統と革新の両輪で日本を代表する工芸となって、一九七五年には国の伝統的工芸品に指定されました。若手職人のカラフルなティーポットが海外で人気を呼んでいるのは、その革新の側の成果です。
型は砂、模様は手仕事
南部鉄器の型は、砂と粘土で作られます。鉄瓶の表面のあの霰(あられ)模様は、型の内側に一粒ずつ、職人が棒で押して刻んだもの。無数の点を寸分の乱れなく並べる、気の遠くなるような根気の仕事です。一つの型から取れる鉄瓶はわずかで、最後は型を壊して取り出します。同じものが二つとない理由が、これです。仕上げの着色や漆の焼き付けまで、工程はほぼ手仕事。だからこそ、使うほど手に馴染み、代を継いで受け継げる道具になります。
使い込むほど、育つ道具
工房で生まれた鉄瓶は、家に来てから育ちます。湯を沸かすたびに内側に湯垢がつき、やがて白湯の口当たりが、まろやかに変わっていく。鉄の器で沸かした湯には、ごく微量の鉄分が溶け出すとも言われます。使い終わりにさっと乾かして錆びさせない、それだけの手入れで、十年二十年と付き合える。親から子へ鉄瓶が受け継がれる家も、この土地では珍しくありません。使うほどに黒みが深まり、器が家族の時間を静かに吸い込んでいきます。工房の火が注ぎ込んだ命を、暮らしの中で長く延ばしていく。作る現場を見たあとだと、その一杯の白湯の重みが、少し変わって感じられます。
見学は、旅の目玉になる
盛岡市内や水沢の工房・施設には、見学や体験を受け入れているところがあります(時期や条件は各所の案内をご確認ください)。鋳込みの日に当たれば幸運、当たらずとも、職人の手元と道具の並ぶ工房の空気は一見の価値ありです。サ旅岩手(こちら)の行程に、光原社(こちら)と鉄器工房を足せば、火と手仕事の一日が組めます。土産に一つ、鉄瓶を連れて帰るのもよいものです。
火の仕事の仲間として
千度の湯を扱う職人たちに比べれば、私たちの火の仕事はささやかです。それでも、火を敬い、鉄と石と木を暮らしに届ける仲間のつもりでいます。岩手・盛岡のD'STYLEの店には、南部鉄器の似合う薪ストーブが並んでいます。工房見学の帰りに、どうぞ。
写真: Raita Futo from Tokyo, Japan (Wikimedia Commons, CC BY 2.0)



