旅先の絶景も、記念日のごちそうも、子どもの運動会も、私たちは何でも写真に撮ります。撮っておかないと、消えてしまう気がするからです。ところで、サウナの中の写真を、あなたは一枚も持っていないはずです。熱と湿気と、マナーの問題で、サウナ室にスマホは持ち込めません。今日は、この「撮れない」ということの、思いがけない豊かさの話です。

記録すると、記憶は薄くなる
こんな不思議な経験は、ありませんか。たくさん写真を撮った旅行なのに、あとから思い出そうとすると、写真で見た場面しか思い出せない。撮ることに気を取られて、その場の空気や、匂いや、風の記憶が、妙に薄い。実際、写真を撮った対象のほうが、かえって記憶に残りにくくなるという現象は、米フェアフィールド大学のリンダ・ヘンケル氏が、美術館での実験で報告しています。「撮ったから大丈夫」と思った瞬間、心は、覚えるという仕事を、そっと手放してしまうのでしょう。カメラに預けた記憶は、カメラの中にしか残りません。
撮れない場所では、心が撮る
サウナの中では、その逆のことが起きます。撮れないと分かっているから、五感が総出で働きます。ロウリュのジューッという音、あたたかい木の香り、額を伝う汗の粒、外気浴で見上げた空の色。記録する手段がないぶん、体そのものが、記録装置になるのです。だから、サウナの記憶は、写真が一枚もない場所の記憶なのに、やけに鮮明に焼きつく。雪の夜の外気浴、湯気の向こうにまたたいていたオリオン座。写真は一枚もないのに、目を閉じれば、いつでも、あの夜を再生できる。あれこそが、心のシャッターというものです。(星空外気浴の話は、こちら。)
共有しない時間の、自由
撮れないことには、もうひとつの、大きな効用があります。誰にも見せられない時間は、裏を返せば、誰の目も気にしなくていい時間だ、ということです。今の暮らしでは、楽しいことがあると「これはシェアしなきゃ」という、小さな義務がついてまわります。いい景色も、おいしい食事も、まず一枚。でも、サウナには、それがありません。映えも、いいねも、届かない場所で、ただ自分のためだけに、心ゆくまで気持ちよくなる。この「誰にも見せない贅沢」は、何もかもを共有する時代の、静かで心地よい抵抗です。スマホを脱衣所のロッカーに置いて扉を閉めた瞬間から、通知も、着信も、届かない。その完全な断絶こそが、サウナがこれほど心をほどいてくれる、隠れた理由のひとつです。(デジタルから離れる話は、アナログウェルネスの話もどうぞ。)
家族の記憶に、残るもの
家族のサウナ時間も、同じです。写真アルバムには一枚も残らないのに、子どもは大人になっても、ちゃんと覚えています。父親の背中、ロウリュの順番の取り合い、上がったあとに飲んだ牛乳の味。記録がないからこそ、記憶が、その子だけの、誰にも渡せない宝物になる。写真に残る思い出と、体に残る思い出。家には、その両方があっていいと、私たちは思うのです。むしろ、後者を育てる場所は、これからの暮らしのなかで、ますます貴重になっていきます。(家族とサウナの話は、こちら。)
撮れない部屋を、家に一つ
岩手・盛岡のD'STYLEは、ハルビア岩手県正規代理店として、「写真に残らない最高の時間」の設置をお手伝いしています。スマホの入らない部屋が、家に一つあること。それは今の時代、どんな設備よりも贅沢な間取りだと、私たちは思います。写真は残らないけれど、体が、心が、いちばんいい時間を覚えている。そんな部屋を、あなたの暮らしにも。おすすめの一台のご相談、いつでもどうぞ。
写真: P.g.champion (Wikimedia Commons, CC BY-SA 2.0 uk)



