旅先の絶景も、記念日のごちそうも、子どもの運動会も、私たちは何でも写真に撮ります。撮っておかないと、消えてしまう気がするからです。ところで、サウナの中の写真を、あなたは一枚も持っていないはずです。熱と湿気と、マナーの問題で、サウナ室にスマホは持ち込めません。今日は、この「撮れない」ということの、思いがけない豊かさの話です。
記録すると、記憶は薄くなる
不思議な経験はありませんか。たくさん写真を撮った旅行なのに、あとから思い出そうとすると、写真で見た場面しか思い出せない。撮ることに気を取られて、その場の空気や匂いの記憶が、妙に薄い。「撮ったから大丈夫」と思った瞬間、心は、覚える仕事をやめてしまうようなのです。カメラに任せた記憶は、カメラの中にしか残りません。
撮れない場所では、心が撮る
サウナの中では、その逆のことが起きます。撮れないとわかっているから、五感が総出で働きます。ロウリュの音、木の香り、汗の粒、外気浴の空の色。記録の手段がないぶん、体そのものが記録装置になる。だから、サウナの記憶は、写真のない場所の記憶なのに、やけに鮮明です。雪の夜の外気浴、あの湯気の向こうのオリオン座。写真は一枚もないのに、目を閉じれば、いつでも再生できる。あれこそが、心のシャッターです。(星空外気浴の話は、こちら。)
共有しない時間の、自由
撮れないことには、もうひとつの効用があります。誰にも見せられない時間は、誰の目も気にしなくていい時間だということです。今の暮らしでは、楽しいことがあると「シェアしなきゃ」という小さな義務がついてきます。サウナには、それがない。映えも、いいねも、届かない場所で、ただ自分のためだけに、気持ちよくなる。この「誰にも見せない贅沢」は、共有の時代の、静かな抵抗です。(デジタルから離れる話は、アナログウェルネスの話もどうぞ。)
家族の記憶に、残るもの
家族のサウナ時間も、同じです。写真アルバムには一枚も残らないのに、子どもは大人になっても覚えています。父親の背中、ロウリュの順番の取り合い、上がったあとの牛乳。記録がないからこそ、記憶が、その子だけの宝物になる。写真に残る思い出と、体に残る思い出。家には、両方あっていいと思うのです。(家族とサウナの話は、こちら。)
撮れない部屋を、家に一つ
岩手・盛岡のD'STYLEは、ハルビア岩手県正規代理店として、「写真に残らない最高の時間」の設置をお手伝いしています。スマホの入らない部屋が、家に一つあること。それは今の時代、どんな設備より贅沢な間取りだと思います。おすすめの一台のご相談、いつでもどうぞ。



