三月の岩手は、じれったい季節です。日差しは春めいたのに、日陰には根雪。ふきのとうが顔を出したそばから、なごり雪。桜前線はまだ、はるか南。「春はまだか」と空を見上げる、この宙ぶらりんの数週間を、今日は主役にします。春待ちの過ごし方の話です。
三月の心が重いのは、あなただけではない
実は、冬の底より、春先のほうが調子を崩す人は多いのです。寒暖差に自律神経が振り回され(変わり目の話)、年度末の慌ただしさが重なり、日は伸びたのに体がついていかない。「春なのに元気が出ない」と自分を責める必要はありません。三月は、そういう月なのです。だからこそ、この時期は、がんばる計画より、ゆるむ習慣を。サウナの出番が、冬に続いてもう一山あるということです。
「光の春」は、もう始まっている
じれったい三月に、一つ、明るい見方を差し上げます。「光の春」という言葉があります。気温はまだ低くても、二月の立春を過ぎるころから、日ざしの強さと日の長さは、確実に春へ向かっている。もとはロシアの言葉から広まった呼び名で、雪国の人ほど、この光の変化に敏感です。夕方五時にまだ空が明るい。軒のつららから雫が落ちる。屋根の雪がずり落ちる。気温の春より先に、光の春はもう始まっています。外気浴の椅子で西日の強まりを感じたら、それは春が近い、確かな便りです。
雪解けの音を聞く、三月の外気浴
三月の外気浴には、この季節だけのごちそうがあります。雪解けの音です。屋根からの雫のリズム、側溝を走る水音、ざらめ雪を踏む昼の音。真冬の無音の外気浴(冬の音図鑑)から一転、三月の庭は、水の音で満ちています。あれはぜんぶ、春が近づく進行形の音。夕方の外気浴で、日の伸びたことにふと気づく瞬間も、この季節の小さな喜びです。ととのいながら、春の進み具合を耳と肌で確かめる。三月のサウナは、春の観測所です。
春を数える、宝探しの季節
待つ時間は、春の兆しを数える遊びに変えられます。暦の上では、三月のはじめに啓蟄(けいちつ)、土の中の虫が動き出すころ。強い南風が吹けば春一番。日当たりの土手にふきのとう、田のあぜにつくし、庭先に福寿草。一つ見つけるたびに、春の点数が一点ずつ入っていくようです。子どもと「今日はいくつ春を見つけたか」を数えて歩けば、宙ぶらりんの三月が、宝探しの季節に変わります。見つけた春を、その晩のサ飯にひとつ添えるのも、乙なものです。日本には、季節を細かく区切る七十二候という暦があり、その一つ一つが、雪の下の草が芽吹く、あるいは魚が氷の割れ目に躍り出る、といった小さな自然の便りでできています。昔の人がこれほど細やかに春の兆しを数えていたのは、待つ時間を楽しみに変える知恵だったのだと思います。三月をやり過ごすのではなく、味わう。宙ぶらりんの数週間も、見方ひとつで、一年でいちばん心の弾む助走の季節に変わります。
待つ楽しみを、仕込んでおく
そして、春待ちの極意は、待つ間に仕込むことです。名残の一焚きの日取りを桜予報と相談し(春じまい)、今年の薪の段取りを考え、ヴィヒタ用の白樺の芽吹きを眺めて歩く。畑の人が種を選ぶように、火の家は春の仕込みを楽しめます。待つことが、退屈ではなく準備になると、じれったい三月は、楽しみの助走に変わります。
四季の全部に、居場所を
冬の底にも、春待ちの三月にも、それぞれのサウナの楽しみがある。一年じゅう居場所のある暮らしを、岩手・盛岡のD'STYLEはお手伝いしています。桜の便りより一足早く、店はいつでも暖かくしてお待ちしています。ご相談、どうぞ。
写真: LudwigSebastianMicheler (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)



