サウナの妖精トントゥの話(こちら)を書いたとき、多くの方が同じ感想をくれました。「それ、座敷わらしみたいですね」。そのとおりなのです。しかも岩手は、座敷わらし伝承の本場。今日は、家に住む小さな神さまたちの話です。

岩手は、座敷わらしの国
座敷わらしは、古い家の座敷に住みつくと言われる、童の姿の精霊です。柳田国男の遠野物語にも登場し、いたずらをしたり、足音を立てたり、子どもの遊び相手になったり。そして何より、「わらしの居る家は栄え、去った家は傾く」と伝えられてきました。二戸の金田一温泉の宿をはじめ、岩手には座敷わらしゆかりの場所が今も生きていて、会いに行く旅人が絶えません。家の盛衰を、小さな住人の機嫌で語る。この想像力は、遠野の炉端で育ったものです(遠野物語の話)。
緑風荘の、亀麿さま
岩手の座敷わらしといえば、二戸市の金田一温泉、緑風荘が名高い宿です。ここに住むとされるのは、亀麿(かめまろ)という名の座敷わらし。会えた人は幸運に恵まれると評判で、その「槐(えんじゅ)の間」は、長く予約の絶えない人気の部屋でした。2009年に火災で母屋を失いながらも、2016年に再建され、今も亀麿さまは客を迎え続けています。名前があり、部屋があり、会いに行ける精霊。座敷わらしが、物語の中だけでなく、現実の宿の主役として今も生きているところに、この土地の懐の深さがあります。
火のそばには、いつも神がいた
座敷わらしだけではありません。日本の家には、住む神がたくさんいました。台所には竈(かまど)の神、火の神・荒神さま。囲炉裏の火は神聖で、粗末に扱うと罰が当たると教えられた。大黒柱、納戸神、便所神まで。家は単なる箱ではなく、目に見えない住人たちと共に暮らす場所だったのです。そしてフィンランドでは、同じ役をトントゥが務めている。サウナを大切に使う家を守り、乱暴な家からは去る。北の国どうし、まったく同じ発想です。人類は、家と道具を大切にする知恵を、小さな神の物語に包んで伝えてきたのでしょう。
道具に、魂が宿るという感覚
小さな神の話には、もう一つ日本らしい枝があります。付喪神(つくもがみ)です。長く使われた道具には、やがて魂が宿るという言い伝えです。古い道具を粗末にせず、役目を終えた針や道具を供養する習わしも、そこから生まれました。使い込むほど、物は単なる道具から、家族のような存在へと変わっていく。毎日火を入れる薪ストーブや、蒸気を上げるサウナも、十年二十年と付き合ううちに、きっと同じように、魂めいたものを宿していきます。道具を大切に使う家に小さな神が住みつくのは、考えてみれば、当たり前のことなのでしょう。物を使い捨てにせず、直しながら長く連れ添う。その暮らし方そのものが、家に温かい気配を少しずつ宿していくのだと思います。
住みつきたくなる家の、条件
伝承を眺めると、わらしやトントゥの好む家には共通点があります。火の気があり、手入れが行き届き、子どもの笑い声がして、道具が大切にされている家。つまり、暮らしが生きている家です。逆に、火の気のない家、荒れた家からは去っていく。これは迷信の形をした、家庭経営の真理だと思います。薪ストーブの火が入り、サウナの湯気が上がり、家族の集まる家。座敷わらし的にもトントゥ的にも、物件として最高のはずです。
小さな住人の気配のする家を
岩手・盛岡のD'STYLEは、火と蒸気で「暮らしの生きている家」づくりをお手伝いしています。設置のあと、家の中の気配が少しにぎやかになったら、それはきっと、いい兆しです。最後のロウリュの一杯は、どうぞ小さな住人に。ご相談、いつでもどうぞ。
写真: JosephCoston (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)



