岩手の人間は、無口だとよく言われます。石川啄木も「ふるさとの訛」を懐かしみましたが、その訛りの持ち主たちは、初対面ではたしかに口が重い。ところが、です。家に上がると、卓の上に食べ物が並びはじめて止まらない。今日は、この土地のもてなし気質の話です。口数は少なく、皿は多く。

わんこそばは、気質の戯画である
わんこそばの「はい、じゃんじゃん」は、観光の名物ですが、あの原型は、客の椀を空にさせないという、この地方の宴の作法です。言葉で「もっと食べてください」と勧めるかわりに、手が動く。よそう、注ぐ、皿を足す。岩手のもてなしは、弁舌ではなく、物量と手数で表現されます。田舎の親戚の家で、断っても断っても漬物と煮しめが出てくる、あの現象。あれは圧ではなく、この土地の愛情の文法なのです。「食べろ」を、口ではなく手で言う人たちの流儀です。
寡黙な手厚さは、冬が育てた
この気質の背景には、冬の相互扶助があると思っています。厳しい冬を越すには、助け合いが必須でした。火を分け(こちら)、食料を融通し、雪から隣家を気にかける。言葉の社交より、実際の物と手を差し出すことが、信頼の通貨だった土地。だから今も、感情表現は控えめでも、行動は手厚い。移住してきた方が「岩手の人は最初は距離があるが、一度中に入れてもらうと、とんでもなく温かい」と口を揃えるのは、この構造です。(雪国の気質は、やませの話ともつながります。)
「お茶っこ」という、盛岡の社交
この土地には「お茶っこ」という言葉があります。近所や親戚がふらりと寄って、お茶を飲みながらとりとめもなく話す、あの時間のこと。呼ばれてもいないのに立ち寄って、出されたお茶とせんべいと漬物を前に、天気と畑と誰それの噂を交わす。用件がなくても成り立つ、むしろ用件がないことが値打ちの社交です。無口と言われる岩手の人も、お茶っこの卓では驚くほどよくしゃべる。人を招いて茶を出し、あれこれ食べさせる。この温かい習慣こそ、寡黙なもてなし気質の、いちばん日常的な姿です。
現代の「あがってけ」は、火とサウナで
さて、現代です。「まず、あがってけ」の精神を、いまの家で形にする装置が、薪ストーブとサウナだと私たちは思っています。寒い日に来た客を、まず火のそばの特等席へ。親しい仲なら「サウナ、入ってげ」。言葉少なでも、火の暖かさと蒸気と一杯の茶が、もてなしの全部を語ってくれる。無口な家主の、最強の代弁者です。(もてなしの話は、こちら。)
訛りは、心の距離を近づける
無口と言われる岩手の人も、いったん打ち解けると、やわらかな訛りでよく話します。「よぐ来たなや」「まんず、あがってお茶っこ飲んでげ」。標準語ではよそよそしくなる言葉も、土地の訛りに乗ると、ぐっと距離が縮まります。観光地の玄関で見かける「おでんせ」は、「おいでください」を意味する南部の言葉。石川啄木が恋しがった「ふるさとの訛」も、こうした音のぬくもりだったのでしょう。訛りは、その人が土地に根を張って生きてきた証しであり、聞く相手を身内のように包む力があります。もてなしとは、豪華な料理だけでなく、こうした言葉のぬくもりでもある。岩手の訛りは、無口な人たちの、いちばん柔らかいもてなしなのです。
「あがってけ」の家を、つくる店
岩手・盛岡のD'STYLEは、この土地の愛情の文法に合った家づくりをお手伝いしています。店にいらしたら、こちらも岩手流で。お茶が出て、せんべいが出て、火のそばの椅子を勧められます。口数は控えめに、おすすめは手厚く。ご相談、いつでもどうぞ。
写真: Ninara (Wikimedia Commons, CC BY 2.0)



