岩手の春は、桜より先に、足元から来ます。雪解けの土手に顔を出す、ふきのとう。この土地の言葉で「ばっけ」です。今日は350話目の節目に、春の膳の話。岩手の春は、山菜のほろ苦い順にやってくるのです。

先頭打者は、ばっけ味噌
雪が消えた場所から順に、ばっけは顔を出します。ふきのとうは、蕗(ふき)の花のつぼみ。まだ土の匂いのするそれを摘んで、刻んで、味噌と砂糖と少しの油で練れば、ばっけ味噌のできあがりです。炊きたての白飯(火で炊く飯の話)に載せた時の、あのほろ苦さと香り。冬のあいだ眠っていた舌を、春がぺしっと叩き起こす味です。天ぷらにすれば、苦みがまろみに変わり、揚げたての熱で香りが立ちます。昔から「春の皿には苦味を盛れ」と言い、山菜のほろ苦さが冬にこもった体を目覚めさせると伝えられてきました。理屈はどうあれ、体が「春だ」と納得する味であることは、食べれば分かります。
春の膳の、打順
ばっけの後、山菜は順番に出てきます。こごみ(クサソテツの若芽)は、くるりと巻いた姿の可愛い優等生。くせがなく、おひたしと胡麻和えの定番です。しどけ(モミジガサ)は、通好みの香りとほろ苦さで、東北の春の主役格。たらの芽は、天ぷらの王様。こしあぶらは「山菜の女王」とも呼ばれる上品な香り。うるい、行者にんにく、うど、わらび、ぜんまい、そして初夏の根曲がり竹へ。神子田朝市やよ市(こちら、こちら)の棚は、この打順どおりに顔ぶれが変わっていきます。市場の山菜で春の進み具合が分かる。岩手の暮らしの、おいしい暦です。
あくを抜けば、味が澄む
山菜のうまさは、下ごしらえで決まります。わらびやぜんまいは、木灰か重曹をひとつまみ入れた熱湯を回しかけ、そのまま一晩おいてあくを抜く。こごみやたらの芽は、あくが少ないので、さっと塩ゆでで十分です。あく抜きは、えぐみを取ると同時に、山菜特有の香りをちょうどいい濃さに整える作業でもあります。摘んだその日に手を入れるほど、色も香りも冴える。少し手間な下ごしらえこそ、春の山菜と長く付き合う人の楽しみです。
採るなら、作法とともに
自分で採る楽しみも、この土地の特権です。ただし、作法と注意を。私有地と入会地のルールを守る、根こそぎ採らずに来年の分を残す、山ではクマ鈴と複数行動、そして毒草との誤食に細心の注意を。特にトリカブトの若葉はニリンソウやしどけと、バイケイソウはうるいや行者にんにくと紛らわしい代表格です。自信のないものは採らない、もらわない、食べない。山の恵みは、作法を守る者に静かに開かれます。
採りきれない分は、季節を越えて
山菜のもう一つのごちそうは、待つ時間です。長い冬のあいだ、東北の人は雪の下の春をじっと待ちます。だから雪解けの土手にばっけの緑を見つけた朝の、あの小さな歓声。芽吹きを待って、走り出す。この待つ喜びこそ、四季のはっきりした土地の役得です。そして、採りきれない山菜は、無駄にしません。わらびやぜんまいは塩漬けに、ふきやたけのこはゆでて干したり瓶に詰めたりして、夏や秋へと持ち越します。春のひと手間が、季節を越えて食卓に春を呼び戻す。旬に一気に手を動かし、あとはゆっくり味わう。山菜と付き合う暮らしは、待つことと蓄えることを、日々の中に取り戻してくれます。
春の天ぷらと、夕方のサウナ
締めは、こうです。採ってきた(買ってきた)山菜を天ぷらに揚げて、夕方のサウナでひと汗。ととのった舌で、揚げたてのたらの芽に塩をひとつまみ。ほろ苦さと油の甘みが、冴えた味覚に立体で届きます。春のサ飯の最高峰は、山菜の天ぷらだと断言します。岩手・盛岡のD'STYLEは、四季の膳がうまくなる火と蒸気の暮らしをお手伝いしています。ばっけの便り、店で交換しましょう。
写真: Marie-Sophie Mejan (Wikimedia Commons, CC BY 4.0)



