盛岡で暮らす者にとって、岩手山は、風景の背骨です。開運橋からの雪の岩手山、田んぼ越しの夏の岩手山。街のどこにいても、ふと目を上げれば、あの端正な稜線がある。標高2038メートル、南部片富士とも呼ばれる名峰を、私たちは毎日、無料で眺めて暮らしています。今日は、この山と外気浴の話。盛岡近郊のサウナ暮らしの、いちばん贅沢な特権についてです。

山は、毎日違う顔をしている
岩手山の面白さは、毎日、顔が違うことです。冬の朝、雪をまとって朝日に染まるピンクの山。五月、雪形が現れる春の山。夏の入道雲を従えた青い山。秋の初冠雪の日の、うっすら白い頂。夕暮れには、茜色の空に黒々と沈むシルエット。地元の人間ほど「今日の岩手山はいいなあ」と、つい口に出る。定点観測するほどに味の出る山なのです。石川啄木が「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」と詠んだ、あの山です。
賢治も啄木も、この山を仰いだ
この山を見て育ったのは、私たちだけではありません。盛岡に学んだ石川啄木も、宮沢賢治も、日々この岩手山を仰いでいました。賢治には「岩手山」と題した短い詩もあり、彼の心象風景に、この山は繰り返し姿を見せます。同じ稜線を、百年前の少年たちも見上げ、言葉にならない何かを受け取っていた。そう思うと、朝のひと目が、少し特別に感じられます。名峰は、土地の人の心を耕し、詩や歌を生ませてきました。私たちの外気浴の物思いも、その長い系譜の、ささやかな末端なのでしょう。
外気浴は、山を見る最高の席
そして、外気浴です。ととのった頭で、毛布にくるまって、岩手山に向かって座る。忙しい日常では三秒しか見ない山を、十分、二十分と眺め続けられる。夕暮れの山が藍色に沈んでいく速度や、山頂の雲が流れる様子は、外気浴の時間感覚でしか味わえません。山の見える土地にお住まいなら、外気浴の椅子は、迷わず岩手山の方角へ。サウナ小屋の窓も、できることなら山に向けて。それだけで、あなたのサウナは「岩手山ビューの絶景サウナ」です。都会のサウナ施設が広告に書きたくても書けない一行が、庭にある。(椅子の向きの話はこちら、窓の話はこちら。)
雪形は、春を告げる暦
春が近づくと、岩手山の残雪が、面白い模様を描きはじめます。雪形と呼ばれるもので、山肌に残る雪と、地肌の黒とのコントラストが、いろいろな形に見えるのです。昔の人は、この雪形の現れ方を、種まきや農作業を始める合図にしてきました。カレンダーのない時代、山は、いちばん大きくて正確な暦だったのです。外気浴で毎日山を眺めていると、その雪の減り方に、春の足音が聞こえてきます。山と暮らしを、こんなに近くで結び直せるのも、庭にサウナのある土地ならではです。
登る山から、眺める山へ
岩手山は、登っても素晴らしい山です(下山後のサウナの話は、こちら)。でも、人生の大半の日、山は登るものではなく、眺めるものです。毎日の外気浴で山と顔を合わせる暮らしは、年に一度の登頂より、ある意味で深い付き合いになる。山の初雪で薪ストーブの季節の始まりを知り、雪形で春を知る。岩手山は、この土地の暮らしの、大きな暦でもあるのです。
山の見える庭に、一台を
盛岡・滝沢・八幡平・雫石。岩手山の見える土地のみなさん、その景色は資産です。岩手・盛岡のD'STYLEは、ハルビア岩手県正規代理店として、山に向かって座るサウナの設置をお手伝いしています。啄木の山を眺めて、ととのう毎日を。ご相談、いつでもどうぞ。
写真: 掬茶 (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)



