読み物250本目の節目に、少し大きな時間の話をします。サウナは、人生のどの季節に出会うかで、まるで違う顔を見せる、という話です。お客様たちの姿を長年見てきて、確信していることでもあります。同じ石から立ちのぼる同じ蒸気が、乗り手の年齢によって、意味を変える。あなたは今、どの駅にいますか。

二十代 / 刺激としてのサウナ
二十代のサウナは、遊びであり、刺激です。強めの熱波を浴び、キンキンの水風呂に歓声を上げ、仲間とサ飯の写真を撮る。体力があるから、多少無茶な入り方もできてしまう年頃です。この時期のサウナは、フェスや旅行の親戚のようなもの。派手で、にぎやかで、いい思い出になる。それでいいのです。楽しさから入った人だけが、次の駅へと進んでいきます。まずは「気持ちいい」を体で知ること。長い付き合いは、すべてそこから始まります。この頃に浴びた熱波の高揚や、はじめて外気浴で足がふわりとした夜の感覚は、何十年たっても体のどこかに残ります。(失敗も含めて楽しむ話は、あるある10選。)
三十代・四十代 / 回復と避難所
三十代になると、サウナは回復の道具に変わります。仕事の疲れ、育児の寝不足、じわじわ効いてくる運動不足。「気持ちいいから行く」が「行かないと保たない」に変わる時期です。そして四十代、サウナは避難所になります。責任が増え、時間が消え、自分がすり減っていく感覚のなかで、誰にも侵されない九十分。この年代のお客様が自宅サウナを建てる理由は、たいてい「通う時間すら無くなったから」です。いちばん忙しい人にこそ、いちばん近い場所の熱を。玄関を出ずに整えられる贅沢が、日々の消耗を静かに支えます。(仕事とサウナはこちら、ソロ営業の夜はこちら。)
五十代 / 健康法としてのサウナ
五十代、健診の数字が気になり始めるころ、サウナは健康法の顔になります。血圧、睡眠、冷え、めぐり。研究の報告が、他人事ではなく自分ごとになり、入り方は自然と丁寧に、温度はやわらかくなっていく。長く入って我慢するのではなく、心地よい熱を短く重ねる。無理をしない技術が身について、実はこの年代から、サウナはいちばん上手になります。急がず、力まず、体の声を聞く。この作法は、サウナの外の人生でも、じわりと効いてきます。若い頃は水風呂の冷たさを競っていた人が、この年代になると、ぬるめの外気浴でゆっくり整えるようになる。上手になるとは、たぶん、力を抜けるようになることです。(血管の話はこちら、続ける効果はこちら。)
六十代から / 人生の友として
そして六十代から先、サウナは友になります。毎日の日課として、夫婦の何気ない時間として、孫を迎える特別な場所として。フィンランドの老人たちが、人生の締めくくりまでサウナとともに生きるように、熱は最後まで寄り添ってくれます。刺激で始まった熱が、五十年かけて、しみじみとした友情に変わる。こんなに長く付き合える趣味は、そうそうありません。無理のないやわらかな温度でなら、体をいたわりながら、いつまでも続けられます。(定年後の話はこちら、高齢期の入り方はこちら。)
どの駅からでも、乗れます
サウナに、正しい始めどきはありません。どの駅から乗っても、熱はその人に合った顔を見せてくれます。岩手・盛岡のD'STYLEは、ハルビア岩手県正規代理店として、あなたの今の季節に合う一台をご提案しています。二十歳の熱も、六十歳の熱も、同じ石から立ちのぼります。ご相談、いつでもどうぞ。
写真: Periegetes (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)



