焼きりんご(こちら)で岩手のりんごを自慢しましたが、りんごの話をするなら、先輩に敬意を払わねばなりません。青森・津軽。生産量日本一、全国のおよそ六割のりんごを実らせる、りんごの王国です。今日は北東北・青森編、王国の話です。

始まりは、明治の士族授産
青森のりんごの歴史は、明治のはじめに始まります。廃藩で職を失った士族の授産事業として、西洋りんごの苗木が導入され、旧弘前藩士たちが刀を鍬に持ち替えて畑を拓いた。寒冷で米作の不安定な津軽の風土が、りんごには適地だった。冷害と戦った土地が、寒さに合う作物で立ち上がった物語は、やませの土地の物語(こちら)の、いちばん見事な成功例です。以来百五十年、津軽はりんご一筋。今では、津軽平野が春に淡紅の花で埋まり、秋に赤い実で染まる、日本一のりんご郷になりました。
「ふじ」は、藤崎町で生まれた
世界でいちばん作られているりんごの品種を、ご存じですか。「ふじ」です。そしてその生まれ故郷は、青森県の藤崎町。国の試験場で国光とデリシャスを交配し、長い年月をかけて選び抜かれ、一九六二年に「ふじ」と名づけられました。蜜が入りやすく、日持ちがよく、甘みと歯ごたえに優れたこの品種は、やがて世界じゅうの食卓に広がります。津軽の小さな町で生まれた一玉が、世界のりんごの王様になった。地元の人が「ふじは、うちの子だ」と胸を張るのも、うなずけます。
りんごは、冬の匠が作る
りんご栽培の勝負どころは、実は冬です。葉のない厳寒期に行う剪定(せんてい)。どの枝を残し、どの枝を切るかで、その木の数年先の実りが決まります。雪の園地で、一本一本の木と対話しながら鋏を入れる剪定士は、津軽の冬の匠。「りんごの木は、人の手が九割」と言われるほどです。夏の摘果、袋かけ、秋の葉取りと玉回し。あの真っ赤な一玉は、一年じゅうの手仕事の結晶なのです。焼きりんごにするとき、少しだけ、その手を思い出してください。
焼きりんごは、酸っぱい品種で
りんごには驚くほど多くの品種があり、味の個性もさまざまです。生食なら、甘くて締まったふじや、香りのよい王林。そして、火を入れる焼きりんごには、じつは酸味の強い紅玉が向いています。加熱すると酸味が甘みと溶け合い、果肉が煮くずれずに、とろりとまとまる。薪ストーブの天板や熾火の近くで、バターとシナモンを詰めてゆっくり焼けば、台所じゅうが甘い香りに包まれます。品種で味が変わるのを知ると、りんご選びが、ぐんと楽しくなります。
りんご箱は、北国の万能家具
りんご文化の副産物も愛おしい。木のりんご箱です。頑丈で、積めて、運べて、座れる。北国の家では、りんご箱は本棚になり、野菜の保存箱になり、子どもの机にもなりました。今は日曜大工の素材として再評価され、古道具屋の人気者です。わらとりんご箱(わらの話)は、北国の「使い尽くす文化」の同期生。ひとつの実りを、木箱まで無駄なく使い切る。棚に積めば味わいのある本棚になり、ふたつ重ねれば小さな机になる。そこにも、暮らしを工夫で豊かにしてきた、この土地の底力が表れています。
兄弟県の、りんごの冬
青森が兄なら、岩手のりんごは弟分。江刺や二戸の実力は、先輩譲りです。北東北のりんごを、薪ストーブで焼きりんごに、ホットアップルジュースに(こちら)。りんごと火の冬は、北東北共通の幸福です。岩手・盛岡のD'STYLEは、その幸福の火の側を担当しています。ご相談、いつでもどうぞ。
写真: あおもりくま,Aomorikuma (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)



