薪の副産物の灰や消し炭を使い尽くす話(こちら、こちら)を書いてきましたが、米の国には、もっと大先輩の「使い尽くし文化」があります。わらです。米を穫ったあとの茎、あの黄金色の束を、先人たちはどこまで使い倒したか。今日は、わらの話です。

わらは、暮らしの万能素材だった
かつてのわらの用途を数えると、気が遠くなります。綯(な)えば縄に、編めば筵(むしろ)と俵に、束ねれば屋根の材料に。履けばわらじと深靴、着れば蓑(みの)、敷けば寝床に、燃やせば燃料と灰に、田に返せば肥料に。牛馬の餌にも寝床にもなりました。米一粒の裏に、これだけの道具が隠れている。米の国の暮らしは、米粒とわらの二毛作だったのです。稲を育てることは、食べ物と暮らしの材料を、一度に育てることでした。
雪国のわらは、着る断熱材だった
特に雪国では、わらの保温力が命綱でした。わら靴とわら蓑は、空気をたっぷり含む天然の断熱着。わらの茎は中が空洞で、編み込めば無数の小さな空気の部屋ができます。断熱の本質は「動かない空気をたくさん抱えること」で、これは現代の断熱材とまったく同じ理屈。雪の中の作業を支えたのは、この空気の層でした。先人は、断熱という言葉を知らずに、素材の手ざわりでその本質を知っていた。わら一足の温かさは、暮らしが積み上げた知恵の結晶です。
しめ縄は、わらの晴れ姿
そして、わらの晴れ姿が、しめ縄です。新米のわらで縄を綯い、神棚と玄関を飾る。刈り入れの実りに感謝し、新しい年の実りを願う。米の体で神様の結界を作るのですから、これ以上の感謝の形はありません。どんと祭(火の行事の話)で正月飾りを焚き上げるのは、わらを火と灰にして、天と田に返す儀式でもありました。わらは、生まれてから灰になるまで、一度も無駄になりません。
わら焼きの香りは、食の記憶
わらの現役の出番も、まだ残っています。カツオのわら焼きに代表される、あの一気に立ち上がる炎と香ばしい燻香。わらは薪と違い、爆発的に燃えて瞬時に強い炎を作るので、表面だけをさっと焼く技に向いています。新米の季節、田んぼで焚くわらの煙の匂いは、日本人の食の記憶のいちばん深いところに触れる匂いです。秋の匂いと言われて多くの人が思い浮かべるのが、このわらの煙だと思います。(香りと記憶の話は、こちら。)
わらを綯う手は、冬の手仕事だった
わらを縄や道具に変えるのは、雪に閉ざされた冬の、大切な手仕事でした。外仕事のできない季節、囲炉裏端で人々は黙々と縄を綯い、草履を編み、俵を作る。子どもは祖父の手つきを横で見て、いつのまにか自分でも綯えるようになる。技は言葉ではなく、手から手へ受け継がれました。まっすぐで丈夫な縄を綯うには、わらを湿らせ、木槌で打って柔らかくする下ごしらえがいります。手間をかけた素材だけが、長く使える道具になる。今、この手仕事は、しめ縄づくりや民芸の教室で静かに見直されています。手を動かして一つの物を仕上げる満ち足りた時間は、火のそばで薪を割る作業と、どこか似ています。わらを綯う指先には、長い冬を退屈させない、暮らしの知恵が宿っていました。その手の記憶は、今も郷土の手仕事の中に、静かに受け継がれています。
使い尽くす文化の、末裔として
わらの文化に比べれば、現代の暮らしはまだまだ使い捨てです。薪を灰まで使い、道具を直して使う火の暮らしは、わら文化の末裔のささやかな実践だと思っています。岩手・盛岡のD'STYLEは、その実践の道具屋です。新米の季節、しめ縄を綯う手つきに敬意を込めて。ご相談、いつでもどうぞ。
写真: Naganojmmmm (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)



