盛岡三大麺(こちら)を誇る私たちですが、北東北の麺の話をするなら、秋田の絹に触れないわけにはいきません。稲庭うどん。日本三大うどんに数えられる、あのつややかな細麺の話です。うどんと聞いて思い浮かべる太い麺とは、まるで別の顔をしています。
始まりは、飢饉への備えだった
稲庭うどんの産地は、秋田県南部の湯沢市稲庭地区。奥羽山脈のふところ、雪と清流に恵まれた土地です。三百年以上前、江戸のはじめ、寛文の頃に、この地の佐藤市兵衛が製法を確立したと伝わります。暖簾の古さは、相当なものです。注目したいのは、その出発点。稲庭うどんは乾麺、つまり保存食として生まれました。冷害と凶作が繰り返された北東北で、小麦を長期保存できる麺に変える技術は、飢えへの備えそのものだった。凍み豆腐(こちら)や南部せんべい(こちら)と同じ、北の保存食の系譜です。それが磨かれ抜いて、秋田藩の御用達、藩主から朝廷や将軍家への献上品にまで育ちました。備えの技術が、格式ある芸術になった見事な例です。
三大うどんに数えられる理由
日本三大うどんという言い方があります。讃岐うどんと稲庭うどん、この二つはどの数え方でも動きません。残る一枠は、群馬の水沢うどんや長崎の五島うどんなど諸説あり、土地ごとに贔屓が分かれるところ。太くこしの強い讃岐が「力の麺」なら、細く平たい稲庭は「品の麺」。同じうどんでも、目指す方向がまるで違います。稲庭が全国区の名を得たのは、味だけでなく、乾麺ゆえに遠くまで運べたことも大きい。土地の名物が、日持ちする形で自ら旅に出られた。保存食という出自が、そのまま全国への切符になったわけです。
あの喉ごしは、手間の集積である
稲庭うどんの命は、つるりとした喉ごしと、絹のような光沢です。秘密は製法にあります。生地に塩水を含ませ、手で綯(な)うように撚りをかけながら、少しずつ細く延ばしていく。この手綯いの工程で麺の中に細かな気泡が抱き込まれ、独特の軽さと、噛んだときのなめらかさが生まれます。二本の棒に八の字にかけて引き延ばし、平たくつぶし、数日がかりで熟成と乾燥を重ねる。ひと束が仕上がるまで、幾日にもわたって職人の手が何度も入ります。機械の押し出し麺と違い、撚りに沿った麺線が乱れず、ゆで上がりが半透明に透きとおる。ゆで時間はわずか二、三分。冷やしても固くならないので、夏の冷たいうどんの王様でもあります。
乾麺という、時を超える知恵
稲庭うどんが偉いのは、その保存性です。よく乾いた麺は湿気を避ければ長く持ち、贈りものや旅の携えにも向く。かつて製法は一子相伝の秘伝とされ、限られた家だけが門外不出で守り継いだといいます。秘伝ゆえに品質が保たれ、希少ゆえに価値が上がる。乾麺という形が、味と物語の両方を、時を超えて運んできました。棚の奥で静かに出番を待てる強さは、慌ただしい現代の台所にも、そのままありがたい美点です。
サ飯としての、稲庭
サウナーの視点でも、稲庭うどんは優秀です。つるりと食べやすく、消化にやさしく、冷やしと温かけの両刀。夏サウナのあとには、氷でしめた冷たい稲庭に、とろろと刻んだ薬味。喉を鳴らして流し込むと、火照った体の奥がすっと鎮まります。冬は熱い出汁の温かけで、椀に浄法寺塗(こちら)を選べば、北東北の完璧な一杯です。乾麺ですから、棚に立てておけば日持ちする。思い立った夜にすぐ茹でられる、サ飯のストックとして気の利いた常備品です。
麺の北東北、恐るべし
盛岡の三大麺、秋田の稲庭、そして青森にも津軽そばの文化がある。北東北は、麺の実力地帯です。同じ小麦や蕎麦でも、土地の水と気候と手仕事で、これだけ表情が変わる。サ旅(こちら)の楽しみに、県境をまたぐ麺のはしごをどうぞ。岩手・盛岡のD'STYLEは、麺のうまい汗のかき方を担当しています。ご相談、いつでもどうぞ。



